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2010.05.16

ヤングタウンのこと。

1次の言葉からある人物の名前がスグ思いつく方は、その人のかなり古くからのファン、と言える。
「ヤングタウン」「ダボーズ」「便所場の電球」「桂文枝」・・・このあたりでまだ「?」な方は、「パンチDEデート」「新婚さんいらっしゃい!」「上方落語協会会長」とくればお判りですね。 そう、上方落語の重鎮、桂三枝さん。
つい先日、日経新聞・夕刊の連載記事「人間発見」に『落語はチャレンジ』という標題でこの三枝さんが登場。生い立ちに始まり、米朝師匠の高座に出会い落語家を目指すようになったこと。創作落語に活路を見いだした経緯から、上方落語協会会長として上方落語会館の実現への夢に至るまで、この人気落語家の興味深い半生がインタビュー記事に凝縮されていた。
その中で懐かしかったのは、今から42~3年前、ワタシが中学生の頃に流行っていたラジオ深夜放送の人気番組『歌え! MBSヤングタウン』のパーソナリティーとして24歳の三枝さんが起用された頃の話題。ワタシは1967年から大阪万博の前年69年まで兵庫県に住んでいたので、ちょうど三枝さんが登場したてのヤングタウンにハマり、毎日、深夜の12時過ぎから2時まで聴いては寝不足で学校に行っていた頃のことを思い出した。
当時は、公開録音というスタイルも斬新で人気を呼び、ワタシもこの番組の三枝さんのスタジオ収録には足繁く通った。何度か遊びに行くうち、今はない毎日放送の千里丘スタジオの守衛サンとも馴染みになり、悪ガキを「顔パス」で入れてくれたのも、長閑な時代だったからなのだろう。
21970年前後と言えば、フォークソング全盛で、かのフォーク・クルセダーズや岡林信康を筆頭に、関西圏には人気グループやシンガーが沢山いたように思うが、その多くがこの『ヤングタウン』から始動したのではないだろうか。
今も“お宝”として保存している『Young Town 今月の歌』と書かれた譜面。公開収録のライヴ演奏を行なうスタジオで配布された2色刷りのシートには、その後「アリス」がヒットさせた『今はもうだれも』が掲載されている。当時立命館の4年生だった佐竹俊郎さんの手による名曲で、彼の弾く12弦ギターもカッコよかった!
そして、『今月の歌』の曲リストをあらためて見てみると錚々たる方の名前が。寺山修司、栗原玲児、藤本義一、谷村新司、杉田二郎・・・
ファンが番組作りに参加し、聴取者と電話やハガキでつながっていた当時のラジオ番組。ラジオというメディア自体、今と比較してポテンシャルそのものもより高かったように思える。
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