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2009.02.22

フィルムは、生きる。

Photoデジタルカメラの性能も行き着くところまで行ったように思えるが、どんなハイスペックなフルサイズデジタル一眼カメラで撮った絵を見ても、フィルムで丁寧に作られた写真の持つ懐の深さのようなものを感じ取りにくい気がするのはなぜだろう。
アサヒカメラの最新刊3月号を見ると、表紙には特集記事のタイトル「デジタル一眼レフに2000万画素は必要か」とあり、方や裏表紙には富士フィルムの6×7判の新型フィルムカメラ「GF670」の広告が掲載されている。この、デジカメ性能競争へ投げかけた疑問符と昔ながらのジャバラ折り畳み式“写真機”を復活させたフィルムメーカーの強烈なメッセージとの対比は、写真が本来求められる「絵の美しさ」を実現するための道具として、数値競争に走っているかに見えるデジタルカメラの成熟度と、それに較べて遥かに年季をつんだ銀塩写真の底力との差が未だに縮まっていないことを現しているように思える。
例えば映画。暗い部屋の大きなスクリーンで観る映像作品は、やはりフィルムで撮られたものであることが、今もって必須条件だろう。仮に映画館で、デジタルムービーカメラで作られた映像を、液晶TVのようなぎらぎらなデジタル画面で見せられたら、カネを払って観に来た客はガッカリするのではないだろうか。
今もハリウッドでの映画作品は、昔ながらの35ミリフィルムでの撮影が主流だとか。この事実も、デジタルでは難しいであろうたとえば“心に沁みるようなしっとり感”を表現するときのフィルムの持つパワーと価値が廃れていないことを物語っているように思える。

Photo_2Photo_3随分長いこと使っていなかったローライの二眼レフカメラ「ROLLEICORD」にモノクロのコダック・トライXを詰めて、“谷根千”の裏道を散歩。まだ寒いながらも、梅が咲きだした東京の下町には、春の日が指し、明るくしっとりとした風情に包まれていた。そんな空気感を、この50年以上も前に作られた古いカメラは巧く写し撮ってくれる。“数値性能”は最新のレンズに較べれば劣るであろうシュナイダーの「クセナー」は、見た目どおりの光と陰を、階調豊かに表現してくれた。
Photo_4Photo_5薬品による現像処理含め、時間や手間の掛かる銀塩写真だが、絵づくりに対する覚悟や労力、そしてそれに応えて余りある絵そのものの質感の高さは、フィルム写真のイノチを今後もつなぐであろう重要な“儀式”であり、代え難い価値だということを、あらためて感じた次第。

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コメント

撮影の時間をゆっくりとるべきでしたネ。
アナログの良さ、出てます~

投稿: 笑酢 | 2009.03.02 19:24

笑酢さん。
仰るとおり、撮影の時間が短かったですね~
でも、現像には時間を掛けました。
今のモノクロフィルムの性能はスゴイです。

投稿: zap | 2009.03.02 23:32

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