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2008.12.14

ピカソで、一杯。

Photoやっぱり見逃せないか、と何となく思っているうちに気づいたら終了間近となっていたピカソ展へ行ってきた。六本木にある二つの美術館で同時開催しているピカソの大規模展は、メディアでも随分話題になったこともあってか、この週末、サントリー美術館も国立新美術館も大盛況。両館合わせて230点という展示数は、それでもこの多作ナンバーワン巨匠の手になる作品の一部なのだろうが、人ごみをかき分けながら目にした作品ひとつひとつから、やはりワン・アンド・オンリーの凄味と美しさ、そして作品を創作すること自体へのとてつもない『熱』を感じずにはいられない。
ワタシはとくに絵画鑑賞を趣味としている訳ではないが、やはりピカソ級の天才芸術にこうして触れることで、多少なりとも“生きるパワー”の御利益を得られるのでは、なんて思えてくる。

実は“ナマピカソ”を観るのはこれで2回目。それも今から46年前、1962年の冬に東京の国立西洋美術館で開催された『ピカソ・ゲルニカ展』に行って以来だ。6歳のワタシと2歳上の姉が母親に連れられ上野まで観に行った訳だが、看板作品の巨大「ゲルニカ」や「泣く女」をはじめ、これでもかというシュールで悲惨系の絵画の洪水に、小学校に入ってすぐのワタシは大ショックを受けたのを鮮明に覚えている。幼心に、なぜワタシの親はこんな絵を電車に乗せてまで子供に無理やり見せたのだろう、と親に対する不信感すら抱くハメになった。

Photo_2今回のピカソ回顧展へ行ってみたいと思った理由のひとつに、そんな大昔の“トラウマ”が50年近くを経てどの程度残存しているのかを験してみたい、という気持ちもあった。が、展示作品群は見事にセレクトされ、「ゲルニカ」を中心に据えたテーマ設定だった昭和時代の件の企画展に比べ、そのバランスは大きく異なっていたのに加え、とりもなおさず、感受性の錆び付いたオヤジにとって、巨人・ピカソの作品群から、パワフルな感動を与えられたことは事実だ。

帰り道、普段滅多に近寄ることのない六本木でかるく一杯。世代や国をを問わず、多くの人のココロを動かす仕事をした御大とその作品に想いを致しながらゆったり呑んでいて気づいた。
しらふでピカソは、もったいない、と。(失礼!)

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