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2008.12.21

100年に、一度の。

P1000691100年に一度の危機、と始めに言い出したのは我らが日本国の総理大臣だったか。最近メディアでよく耳にする実体経済という表現も同様だが、経済の現場にいる人間が発したものではないと思わせるような軽さ、当事者意識の希薄さが妙に気になる。
昨今の、頼りなさげな政治家先生方や、煽りに徹しているように映るメディアの人たちにとって、この危機を自らのことと捉えきれていないのかも知れない。ともあれ、「実体経済」に多少なりとも関わってきた仕事人、企業人はことごとく、この100年の間に数えきれない程の変革の波に流され危機に晒され続けてきたのではないだろうか。いや、この過去20年を省みても、経済的な世情が長期に安定していたことなどただの一度もなかったように思える。景気やら経済なんてそんなモン、と言えるのかも知れないのだが、一方で、昨今の自動車関連産業の急変にはこれまでになかった異様なものを感じるのも事実だ。
この秋以降、アメリカの金融危機に端を発すると言われる経済活動の混乱。その象徴が、ガソリン価格の乱高下だろう。数ヶ月前にはリッターあたり200円近くまでつり上がった価格が、最近では100円前後にまで下落。消費者にとっては歓迎すべき値下がりの筈だが、このガソリン価格の変動は実に不気味だ。旧来の需給バランス主動の価格システムそのものが、原因不明の不全に陥っているように見えてならないからだ。
ここからは仮説。自動車産業が日米で急速に冷えてきたのも、このガソリン価格の急変と密接に関わっているのかも知れない。燃料が手に入りづらくなればクルマを使う機会が自ずと減る。仕事でもアソビでも、クルマに頼らなくてもなんとかなる場合が少なからずあることに気づく。世界中に満遍なくその利用者がいるだけに、その気づきの世界的な連鎖と蓄積は、結果、人類のクルマに対する認識を変え、クルマそのものの価値下落をもたらす。クルマに対する従来と異なる認識を持つに至ったニンゲンは、ガソリン価格が再び下落したところで、かつてと同じクルマ生活には戻らない。。
このシナリオが多少なりとも当たっているとすれば、昨今の環境への配慮気運も相俟って、それこそ100年続いた内燃機関の時代が終りを告げる、極めて大きな変革のうねりが始まったのかも知れない。

今日は夜の長さが一番長い冬至。確かなのは、明日から少しずつ昼の時間が増える、ということぐらいかな?

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