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2008.08.03

追悼、赤塚不二夫先生。

Photo小学館の編集者だった武居俊樹氏の著書『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』を読んだ3年ほど前、赤塚不二夫さんは病の床で2年以上も昏睡状態。既にその時、もう長くはないなと思わせるような何かが漂っていた訳だが、突然その日がやって来てしまった。氏の訃報を聞いた昨夜、ン十年も前から親しんできた半端でない数の赤塚マンガを頭の中で“再生”していたら、時間がいくらあっても足りない気がしてきた。シュールとかナンセンスといった言葉で語られることの多い赤塚マンガだが、60年代から70年代を『おそ松くん』や『天才バカボン』と共に過ごしてきた我々世代にとって、それは、ニンゲンとして楽しく生きるための“バイブル”だったのではないか。そして、弾けるギャグの裏に隠されたマジメで温かい赤塚不二夫さんの人となりそのものが、ひょっとしたら昭和に育った我々世代が共有する“文化”なのかも知れない、なんてあらためて思う。

小学生の頃の教科書はマンガ本。毎週書店に並ぶ少年サンデーやらマガジンでぬかりなく勉強していなければ、僕らワルガキども同士の日々の楽しい暮らしは成り立たなかった。手塚治虫、藤子不二雄、横山光輝、ちばてつや・・・大御所先生の単行本なんぞ買い揃えた日にゃ、家で輪読会が毎日のように催される。そんな中でも一番近くで最高の作品を日々提供し続けてくれたのが、赤塚不二夫さんだった。

1000高校を卒業しても赤塚ワールドから卒業できなかったワタシを見るに見兼ねた姉が、ワタシの成人式の記念に『赤塚不二夫1000ページ』という東京都の電話帳のようなブ厚い本をプレゼントしてくれたのが30年以上も前のこと。そしてこれがワタシにとってのバイブル本編。で、赤塚先生は70年代既に和田誠サンをしてこの集大成本を編纂させたほどの大御所として漫画界に君臨していた訳だが、その後も淡々と唯一無二のギャグ漫画を放ち続ける。

1000_2大病に倒れた後も、件の武居氏は、赤塚不二夫さんがある日、大アクビをしながら起き上がって周りの人を驚かせるのでは、と思っていたそうだが、そんな“ギャグ”も実現しないまま、昭和を彩った偉大な作家がまたひとり、静かに世を去って行った。
合掌。

■昨日は我が家至近の手賀沼花火大会。奇しくも赤塚先生の追悼花火に・・・

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コメント

zapさん、たびたび失礼します。

漫画の話は、し始めたらきりがないので、今度お目にかかった時のために取っておくとして・・・
赤塚先生の死因が「肺炎」となっていたのを見て、ああ、やっぱり、と思ってしまいました。近頃、著名人市井人問わず「肺炎」で亡くなる人が多いような気がして、かかりつけの医者に聞いてみたら、長患いで寝込んでいると、最後は点滴で肺に水が溜まって肺炎になってしまうのだとか(養老孟司先生は何かの本で身も蓋もなく「溺死」とまで言い切っていました)。私の女房の爺さんも、90まで生きましたが、最後は寝たきりで、死因も肺炎でした。昨年死んだ私の父親も、死亡診断書の死因こそ肺炎とは書かれませんでしたが、やはり最後は肺に水が溜まっていて苦しい思いをしたようです。
赤塚先生の訃報に接して、数々の赤塚漫画が脳裏をよぎり、そして上に書いたようなことまでよぎって行って、死ぬのも難儀な世の中だなあ、と赤塚漫画とは無縁の長嘆息をしたのでした。

投稿: 赤壁周庵 | 2008.08.04 03:51

zapさん、たびたび失礼します。m(_ _)m

「赤塚不二夫って、藤子不二雄の片割れだよね」なんておっしゃる若い方もおられるそうで・・・
泉下の藤本弘サンも、葬儀委員長の我孫子素雄サンも、浜松市「福」市長のウナギイヌさんも、ご本人の赤塚不二夫サンも、さぞやびっくりしているのでは。(^^;;;

投稿: 赤壁周庵 | 2008.08.06 06:57

赤壁周庵さん

ワタシの連れなぞ若くないですが「赤塚不二夫のマンガ好きだったぁ~~オバQとか」と言ってました。世の中そんなもんなんでしょう(^^)。
かの鶴見俊輔先生をして朝日新聞文化面に追悼文を書かせた程(8月5日)、赤塚文化は幅広く、根強く生きている、ということですね。

投稿: zap | 2008.08.09 14:03

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