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2008.05.24

置き薬と路面電車。

12仕事で富山へ行ってきた。ワタシが拡販プロモーションを担当する企業向けパッケージ・ソフトウェアの導入事例記事を公開Webに掲載するため、その顧客である富山市の広貫堂という製薬会社への取材が目的だ。
その昔、どの家庭にも大抵あった「置き薬」。小さい頃の我が家にも、不思議な商品名と怪しげなイラストが描かれた痛み止めやらカゼ薬などが詰まった引き出し付きの木箱があったのを思い出す。同社は、この家庭配置薬事業を全国で展開する老舗企業だ。
3_2各家庭に薬を預けておいて、使った分だけ代金を払うというスタイルは、300年もの歴史を誇る越中富山ならではの商法。かつては顧客管理に使われた「懸場帳(かけばちょう)」と呼ばれる管理台帳を基に個人の健康アドバイスをしたり、全国を売り歩いて得た様々な情報を事業に役立てるなど、古くからマーケティング手法としても高度な仕組みを確立していたと言える。ただ、この置き薬事業も、マツキヨなどのディスカウント店との競合で、その事業効率アップを迫られるなか、ビジネスの仕組みそのものがコンピュータやネットワークによく馴染むということもあり、Webを活用した販売管理システムの導入と相成った訳だ。
家庭毎で在庫内容が異なる商品管理を最新のシステムでさくさく行なう。江戸から続く古い商売が現代のテクノロジーで活気づく、その歴史対比が面白い。

578一方、富山市は路面電車を復活させた街としても有名だ。富山駅と日本海に近い岩瀬浜駅間の約8㎞を結んでいたローカル線「JR富山港線」の廃止後そのレールを活かし、富山駅付近の車道に新しく線路を敷設して、2年前に営業をスタートした『富山ライトレール』。ヨーロッパを走る路面電車のような2輛編成 のモダンな車輛が、車道ではクルマと仲良く信号で停まり、JRから譲り受けた専用線では全速でキビキビ走る。片道20数分、200円也の路面電車の旅は想像以上に快適でエキサイティングだった。国鉄時代よりも更に遡る「富岩鉄道」時代の大正13年に建てられたというスーパーレトロな駅舎を残したり、明治初期の「北前船回船問屋」等の文化財建築物などが多く遺る岩瀬町・大町通りの散策も便利になるなど、観光資源の価値向上にも寄与する路面電車の復活だ。

910商売や生活含めた古くからの文化を、何のためらいもなく消し去ろうとする今のニッポン。富山で見た、古いサービスビジネス復活にかける取り組みは、そんな気運を食い止めようとするかのような事例として、興味深くも面白い“歴史コントラスト”を放っていた。


【写真上から】
■愛すべき置き薬パッケージ
ズバリ『ずつう』という名の痛み止めとケロリンライクな『ヒロリン』
出演の皆さんは爽快な笑顔です。。

■広貫堂資料館で・・・昔の薬箱

■新たに車道にレールが敷設された路面電車『富山ライトレール』
■車道と専用線の切り換え場所で
■「JR富山港線」の廃止路線を軽快に走る新型車輛「ポートラム」

■スーパーレトロな保存駅舎『東岩瀬』駅
■富山湾では中古車を満載したロシアの船を発見--本文とカンケイありません。。

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コメント

zapさん、たびたび失礼しますです。

富山の薬売り・・・近頃とんとお目にかかりませんな・・・
四角い紙風船が懐かしい。
幼い頃、置き薬の中に、色といい形といい銀紙に包んであるところといい、カステラにそっくりな物があって、アレを何とか食ってやろう、と画策して、ある日ついに口に入れたら旨かった。でも母親が後で云うには、それは虫下しだったそうです。
思えばのどかだった60年代初めの頃のお話でした。

投稿: 赤壁周庵 | 2008.05.26 21:17

赤壁周庵さん。まいど。
そうそう、四角の紙フーセンがまだありました。
置き薬以外に「置き〇〇」というビジネスでどんなのが成り立つか、なんて考えましたが、なかなか思いつかんです。
クスリのように、普段は要らないけど、急に必要になったとき無いと困るもの、ということでしょうか。
「置き落語CD」とか・・・??

投稿: zap | 2008.05.26 23:30

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