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2007.10.21

母校が、消える。

Photo東京・中野は都心から程近い中央線の入り口の街。商業施設やマンションなども多く建ち、今もJR中野駅界隈は往時と変わらない賑わいを見せている。その駅ホーム南側スグの場所に建つ、昭和レトロを地で行く古色蒼然アパートが、ワタシの生まれ育ったところだ。通っていた小学校は、駅前を通り過ぎ高円寺方向へ少し坂を上がった場所にある中野区立桃丘小学校。来年で開校50周年を迎えるこの我が母校が、皮肉にもその節目の年に閉校になる。過疎と言われる場所ならいざ知らず、東京のど真ん中に位置するこの繁華なエリアで、小学校へ通う年齢の子供が激減するという、少子化の波をマトモに被って、今年度限りでその歴史を寂しく閉じることとなった。

Photo_2この週末は、その50周年を記念した同窓会が同校の体育館で開かれると言うので行ってきた。昭和37年に入学したワタシたち約20名の同期含め、300人を超す卒業生が集結。ほぼ通っていた当時のまま残る校舎の中を懐かしい想いで歩き回り、旧友たちと語り合った。驚いたのは、ワタシのヒヨッコ1年生の時の女性の担任先生が、元気な様子で同窓会に臨席していたことだ。そして、40数年前の教壇に立っていたときと変わらぬ存在感で壇上から挨拶を述べられていたのを聞いていたら、入学直後6歳の頃の取り留めない記憶が一瞬色付きで蘇った。アタマの中のどの引き出しに仕舞っているのかも判らないような記憶の断片が、揮発せずに残っている不思議。そして、この母校自体、閉校となることで我々の記憶の中にしか残らないものになることが、正直とても寂しい。

1この小学校。戦後のベビーブームの頃は一学年7クラス、1クラスあたり60名もの生徒を抱えていた。つまり、最盛期は1学年だけで400人を超すこともあったと言う。が、今現在は全校生徒の総計でさえ91名。ためしにワタシの1年生の時に居た教室を覗いてみたら、当時同様、今もやはり1年生の教室として使っているのだが、そこに並ぶ生徒の机の数はなんとたったの5つ。懐かしさの一方で、子供不在の空恐ろしさを目の当たりにしたようで、フクザツな想いだった。

Photo_3学校での同窓会がはねて、同期の仲間は老舗蕎麦店の座敷の二次会へ。生まれ育った場所で、お互い歳を誤魔化す必要のない、気の置けない旧友たちと美味な酒を酌み交わす。そろそろ孫がいてもおかしくない“ヨッパライ小学生”たちの、楽しくも長い夜は続いた。

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コメント

1年生の時のF先生は左から2番目の方かな?
お会いできなくて残念でした。

それにしても、自分が小学生の時に感じていた今のわれわれの年齢の方たちはこんなにパワフルだったのでしょうか?
20歳過ぎても今の子はいつまでも大人になれないと思って見ているけど、実はわれわれ世代も?なんてね(笑)
いや「大人」であるという意味合いは色々あるけれど。

兼八 ぜひお試しあれ。

投稿: えしゃれっと | 2007.10.22 05:28

えしゃれっとさん。楽しかったですね!
先生たち、ほんとパワフルでした。驚きました。
戦争終わって10年そこそこに生まれたヒヨッコ50代のワレワレは、何だか未だにヤワな生きざまで、世の中流しているような感じがしました。
『兼八』呑んで、暫し熟考します。


投稿: zap | 2007.10.23 00:32

私も、同窓会に行きました。25期生です。
千葉に住んでいますが、友達のお母さんが桃三の卒業生で、三校併合の話と同窓会の話をしたら、「桃が丘は同窓会やったてよ!」とすぐに自分の旧友と連絡を取り、数人と集まり食事をしたそうです。
私も一年生のときF先生でした。
本当にお元気で、私もあちこちガタがきていますが、私なんかが、年だわなんて言っていたら怒られちゃいますね。

投稿: マロン | 2007.11.09 09:58

マロンさん、初コメントありがとうございます。
ワタシは10期ですから、マロンさんより15年もムカシですが、一年生の担任の先生が同じ先生とは奇遇ですね。
ワタシなどよりさらに20年以上も先輩のF先生が元気でおられる訳ですから、50オヤジも歳だなんて言ってられないです!

投稿: zap | 2007.11.11 10:30

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