« 夢の、超特急。 | トップページ | 右巻きの、カミ様。 »

2007.09.01

ジョン・シャーカフスキーのこと。

Photo普段より一際暑い夏の熱に生体エネルギーを吸い取られながら事務局として動いていたセミナーイベントの仕事が、今週大阪と東京の本番を迎え、無事終了。気づいたら9月。生き残りのセミの声にまだ少し夏らしさを感じるものの、夕方にはもう秋の虫が登場している。
10代の頃からほぼ毎号読んでいる月刊誌『アサヒカメラ』の9月最新号も、買っただけで2週間程机の上に放り出していたのだが、今朝ようやくパラパラと読んでいるうちコラムページを見てびっくり。それは、アメリカのキュレターである、ジョン・シャーカフスキー氏がこの7月7日に81歳で死去したニュースだった。
ジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski)の名は、写真やカメラ好きが大勢いる日本でさえも、残念ながらあまり知られていないように思うが、ファインアートとしての写真文化先進国であるアメリカにおいて、秀でた活動をする写真作家やその作品群を世界に知らしめたキュレターであり、近代写真芸術の価値向上のために数多くの仕事を残した功労者だ。

MoMA(ニューヨーク近代美術館)の写真部門の初代ディレクターとしてエドワード・スタイケンにより抜擢され、以来30年近く同部門キュレター(日本では「学芸員」という訳語しかないのが悔やまれる)として活動し続け、写真芸術の認知度と地位向上に尽力した。

ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ジョエル・マイヤーヴィッツ、ゲリー・ウィノグランド、ウィリアム・エグルストンといった20世紀後半の写真史に名を刻む写真家達を展覧会の形で世に送り出したのみならず、企画展とその著述『MIRRORS AND WINDOWS』(1978年・日本名「鏡と窓」)は、国際的に写真キュレターの必要性を認識させるきっかけを作った、写真論モダニズムの白眉と言われている。
一方、ウォーカー・エバンスやアンセル・アダムズといった“古典”領域フォトアートの価値を再認識させる活動にも注力。ワタシの愛蔵本でもあるのだが、2001年に出版された『生誕100年記念 アンセル・アダムズ写真集成』(岩波書店刊)は、その書名どおり、写真芸術最高峰であるアダムズ作品とシャーカフスキーの格調高い解説による集成として、同種書籍と一線を画したものに仕上がっている。
さらに、独特な写真文化を持つ日本にも注目し、1974年には、当時「カメラ毎日」(1985年に廃刊)編集長だった山岸章二との共同ディレクションによる『ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィー展』をMoMAで開催。東松照明、森山大道、石元泰博、土田ヒロミ、十文字美信、桑原甲子雄、深瀬昌久といった15人の錚々たる日本の写真作家の作品を紹介し、その後の日本の写真文化の国際化にも多大な貢献をした。

90年代に入って、100年以上続いた銀塩写真の地位は急速に下がり、デジタル化とともに、その複製アートとしての写真術とその道具立てが世を席捲する。コマーシャルの世界でなら尚更のこと、処理スピードと画像のインパクトが要求され、濃厚な銀粒子の放つ深くも暖かなファインプリントの世界が益々遠のきつつあるように思える昨今、シャーカフスキーが希求したであろう、モダン・アートとしての写真術の在り方そのものの世代が替わったことと彼の死が、符合しているように思えてならない。

■写真は、1977年6月に東京・西武美術館で開催されたリチャード・アベドン写真展『時代の肖像』で紹介された珍しいジョン・シャーカフスキーのポートレート

|

« 夢の、超特急。 | トップページ | 右巻きの、カミ様。 »

コメント

アンセル・アダムスの写真に安らぎを見いだしていた時期がありまして、とはいえその写真集は、何しろ大抵が大きくて重くて高い(!)ので、地元T市美術館の閲覧室(これが穴蔵みたいな造りで正面が窓でしかも新しいと来ている)に通っては日がな眺めて飽きることがありませんでした。シャーカフスキーの名は、その奥付(それとも解説だったかな)で見かけて憶えている、という程度の認識でした。ゲオルク・ショルティの「ニーベルンクの指輪」のCDでプロデューサーのジョン・カルショーの名をやっと知る、というのと似ているかも知れません。いずれにしても不見識もいいところです。
シャーカフスキーは、MoMAのサイトでは「写真部門の名誉理事」と紹介されていて、キュレーター(curator)とは日本でいう学芸員より遙かに高い権限を持っているそうです(後半はwikipediaの受け売り)。こういう、作家(物書きのことに限らず、広義の)を世に知らしめる人の存在が如何に不可欠で如何に大変な役回りか、齢を重ねて少しはわかり始めた赤壁周庵でした。
それにしても、銀塩写真はどこへ・・・このまま衰退の一途をたどるのではあんまりではないだろうか、アンセル・アダムスがデジカメで撮っていたら、あんなに安らぎを憶えることがあっただろうか・・・「古典芸能」としてある程度残るのだろうか、と、あらぬことを妄想したりしています。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.09.02 06:41

銀塩モノクロ写真に多少なりとも入り込んだニンゲンにとっては、アンセル・アダムズの仕事は一つの到達点であり、その作品やらノウハウが書籍やらWebサイトで比較的簡単に接することができるのは仕合わせと言えます。
1994年に発刊されり「アンセル・アダムズの写真術」三部作はその一つだし、Webサイト
http://www.anseladams.com/
でもその作品の多くが紹介されていますが、この人の仕事の神髄は、やはりオリジナルネガから丁寧に作られたプリントそのものでしょう。
ワタシも、赤壁周庵さんと同じく、アンセル・アダムズの写真に理屈抜きの安らぎを覚えるワケですが、20年近く前にアンセル・アダムズの縁の地でもあるヨセミテ国立公園へ行ったときに現地のギャラリーで買い求めたプリント『Moonrise from Glacier Point』(もちろんオリジナルプリントではなく、アンセルが撮影した8×10インチ原版から、版権管理者が指定したプリントマンが作成したいわゆる「トラストプリント」と言われるコンタクトプリント)をずっと飾っていますが、癒されるのみならず、アンセルの写真芸術に対する大きな気概をダイレクトに感じます。

http://www.anseladams.com/index.asp?PageAction=VIEWPROD&ProdID=194

最近のアメリカの写真家作品では、やはりアンセル・アダムズに影響を受けたと思しき人が少なからずいることが見てとれますが、ネット経由PCのスクリーン上に現われるデジタル機材で撮られた作品を観るに、銀塩の深み、とくにシャドウの微妙なトーン再現がプアと言わざるを得ません。

http://photo.net/photodb/photo?photo_id=6366708
http://photo.net/photodb/photo?photo_id=6365839

投稿: zap | 2007.09.02 14:56

zapさん、紹介されたサイトへ「Moonrise from Glacier Point」を見に行きましたが、アア、これはプリントなら山麓がもっとずっと綺麗に見えるんだろうなあ、と思いました。はるか昔、1972年にM市の写真展で見たユージン・スミスのプリント(オリジナルだという触れ込みだった)の、息を呑むような黒の美しさを思い浮かべて、まったく作風の違うアンセル・アダムズのプリントを想像していました。
いずれにしても、photo.netの二例とは、云っちゃ悪いが雲泥の差がありますね。
またT市美術館に通ってみようかな・・・このところ、公私ともに面白からぬことが続いてますので・・・

ちなみに、私が呼び慣わしていたアンセル・「アダムス」では例えばKinokuniyaBookWebの検索には何も引っ掛かりませんでした。アンセル・「アダムズ」だと11件、出てきました(どれも絶版やら入手不可でした)。だからアダムズと呼ぶのが一般的なんでしょうね。細かいことですが。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.09.03 07:39

いやいや、wikipediaでは「アダムス」だったぞ、なんて、いくら例をあげていってもしょうがないですね。(^^;;;「要するにオレであることがわかればいいのだ」というあたりで・・・

投稿: 赤壁周庵 | 2007.09.04 20:36

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジョン・シャーカフスキーのこと。:

« 夢の、超特急。 | トップページ | 右巻きの、カミ様。 »