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2007.07.15

思いがけず再会の、SL。

Img029両国にある江戸東京博物館で企画展『大鉄道博覧会』が開催されているので、テッちゃんの端くれとして何はさておき行ってきた。昭和への旅は列車に乗って、という宣伝コピーも何やら気になる風情を漂わせている。日本の鉄道の黄金期と言われる昭和30年代にスポットをあて、当時活躍した車輛や自動発券機、優等列車のプレートの実物、懐かしい写真や映像、ジオラマ模型などが盛り沢山、解説とともに展示されていて、台風余波の悪天候にも関わらず、大勢の親子連れが来場していた。
が、ワタシのお目当てはただひとつ。1956年に協三工業という会社が製造したミニ蒸気機関車の実物展示だ。ワタシにとってこのSLには、特別の思いがある。

営業用の蒸気機関車としては日本で最後に造られたこのミニSLは、1980年頃まで新潟県糸魚川市にあった「東洋活性白土」という化学製品を造る会社の工場で製品や原材料を積んだトロッコを牽いて走っていた。国鉄糸魚川駅と同社工場の間約800mに敷かれた2フィート、約60㎝幅のナローゲージ線路を、自転車程の速度で走る姿は、当時のレールファン、とりわけ軽便鉄道やトロッコといった言わばキワモノ系を支持する多くの鉄道マニアを引き寄せた。
中学生のワタシは、このオモチャのような機関車に惚れ込んで、行き帰りを夜行の急行列車を使った、ゼロ泊3日の糸魚川への撮影旅行にしばしば出掛ける。その回数は5~6回に及んだか。

Img027黒姫山を背景に長閑な田園脇を素朴なトロッコを牽いて仕事をする遠望、レトロで美しい工場内でスチームを燻らせ佇む近景。小型ながら実にバランス良くまとまったツクリの機関車は、まさにフォトジェニックだった。
当時ココの記録を撮り溜めたワタシは、数点の写真を選び、簡単な紀行風の小文を付けてキネマ旬報社が発刊していた『蒸気機関車』という季刊誌に投稿する。編集者の筆が多少加わったものの、モノクロ見開きの記名記事として掲載され、幾許かの稿料まで頂いた。この中学生15歳当時の出来事は、学校で成績のまるで思わしくないボンクラ息子に対する親の評価をチョットだけ上げる一件となり、その後の、モノを書いて写真を撮るといった行為への動機付けのひとつとなっているようにも思える。

Dscn2307思いがけず30数年振りに再会したこのミニSL。こうして博物館の大掛かりなイベントの主役としてキレイに磨かれ展示されている事自体、この機関車の魅力が色褪せていないことを物語っているようで、嬉しかった。

■モノクロ写真は1970年頃糸魚川にて撮影

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コメント

Zap さんへ
思い入れの多かったSLに会えて良かったですね。

私の思い入れは、草軽電鉄の電気機関車です。
既に廃止になったしまいましたが、廃止後だいぶ経ってからテレフォンカードが発売され、それを今でも大事に持っています。

投稿: 遊歩 | 2007.07.15 21:17

遊歩さま。
初コメント、ありがとうございます。草軽電鉄と言えば、高峰秀子サンが主演した映画『カルメン故郷に帰る』に登場しますね。1950年頃の現役バリバリの草軽電鉄の様子がカラーで見られるという意味で、貴重な記録映像だと思います。

投稿: zap | 2007.07.16 12:39

中学時代のテッチャン

 この話は随分と昔、居酒屋で聞きましたね。関西から北陸線の夜行で出かけたんでしょうね。直江津あたりで夜が明けますね。

リュックを背負い、カメラを抱えて家出少年のような姿が目に浮かびます。

その後、あまり変化がないのと違いますか?(笑)

投稿: jo | 2007.07.18 10:51

joさん。
その頃は文京に住んでいましたので、学校から帰ってから上野発の『妙高』という夜行急行に乗って碓氷峠を越えて直江津経由糸魚川、というコースでした。帰りは大糸線で松本経由中央線、というのが定番コースでした。当時は夜行列車が沢山あって、安上がりな旅ができました。久々にそんな旅がしてみたいですね~

投稿: zap | 2007.07.18 23:59

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