« クラブ仲間、集結。 | トップページ | 20年以上待っていた本。 »

2007.02.04

親の入院に思う。

今年で80歳になる母親が入院した。
高血圧症や不整脈といった心臓疾患など、高齢者が罹りやすい持病があるうえ、「介護度5」である、母の実兄の看護からくる疲労やストレスが重なり、主治医の判断で約二週間の加療入院となる。
脳血栓の初期症状のような兆候も見られるとのことで、神戸・六甲アイランド病院へ入院の一報を聞いた、二週間前の週末の夜。東京の職場から神戸へ向かい親を見舞うも、とくに危急な状況ではなく、ひとまずは主治医氏に任せる。そして二週間後の一昨日、退院可能との病院からの連絡を受けて再度病院を訪れ、主治医氏から病状と経過などについての説明を受けた。
少し驚いたのは、加療の当人である親とワタシを応接室のような別室に通し、担当の医師が専門領域の用語を素人にも判りやすく砕きながら、極めて懇切丁寧かつ子細に説明を施してくれたことだ。
これまでのワタシ自身の意識では、医療の現場で働く医師や看護師などの医事プロフェッショナルな仕事領域は、たとえ患者当人であっても、ある距離を置かざるを得ない「聖域」であるように感じ取っていたのだが、今回経験した“インフォームド・コンセント”が与えた距離感は、従来とはかなり異なるものだった。
今回の疾病の概要と考えうる全ての要因、治療のためにどのような判断の基に何を施したのか、また、患者として病気をどのように捉え、快癒のためにはどのようなことに心掛け、何を励行すべきなのか。担当医師自らが1時間以上を掛けて徹底的に解説し、盛りだくさんの質問に応じてくれるのだ。このような行為自体、ふたムカシ前の医療施設では充分に受けられなかった「顧客向けサービス」なのではないか、とすら思った。

幸い親の症状は、CTスキャン等による精密検査により、当初懸念していたような深刻なものではなく、クスリ投与と休養による加療で当面悪化は防げるとの見立てだったが、一難去った問題は、寝たきり状態の家族介護というこれまでの日常生活で被る疲労とストレスによる再発を如何にくい止めるか、ということだ。
親の兄は、当面介護保険で賄える範囲での介護環境で世話になる日数を増やすことで事なきを得そうだが、従来にも増して「老=老介護」当事者の想定外の状況悪化に至らないような配慮が、ワタシをはじめとする近親者に必要な状況となった訳だ。

核家族化が取り沙汰されて久しい昨今。団塊世代就労者の大量リタイアという「2007年問題」をその象徴的なトリガーとして、この先必ずやってくる超高齢化社会。今回の一件で、自らの、そう遠くない将来の、避けては通れない重たい課題として、そんな社会問題が一気に身近なものになったように思う。
さらに、人口の減少とは裏腹に、今後増えるであろう、入院・加療が必要となる高齢者という「顧客」に、広い意味での満足を与えるための医療や介護に関わる「マーケット」や「ビジネス」の拡大を確信した出来ごとでもあった。

|

« クラブ仲間、集結。 | トップページ | 20年以上待っていた本。 »

コメント

おお、今このエントリに気づきました。お母さま、無事にご養生なされますよう、お祈りいたします。それにしても大変な状況におられるのですね……。

いろいろと考えさせられるエントリです。

投稿: negi | 2007.02.08 11:07

negiさん ありがとうございます。母はおそらくワタシと同じB型ノーテンキ系なので、OKと思います。心配なのはO型ストレート系の伯父です。還暦を越すと、ニンゲン子供に戻るなんてーことを言いますな。こうしてどんどん子供のように手の掛かるようになって、結局親子はイーブン、なんて神サマがバランスとってるのかも知れませんゾ。

投稿: zap | 2007.02.08 21:40

zapさん、ご母堂のご健康と伯父様の介護無事(どうも適当な言葉が思い当たらなくて妙な云い方ですが)をお祈り致します。それにしても伯父様の「介護度5」には衝撃を受けました。
私事で恐縮ですが、父親が正月早々、病院に担ぎ込まれまして、大腸癌と診断されました。肝臓に転移しており、まあ手遅れです。母親が付き添っておりまして、おっしゃるところの「老=老介護」の典型みたいなものです(泊まり込みの付き添いはさすがに母には無理で、夜は姉が泊まり込んでいます)。病院の「顧客向けサービス」は、zapさんが経験された懇切さからはほど遠く、それどころか、懇切な説明以前に、主治医の粗忽さによる検査もれ、手術の延期、延期されたことによって父親の衰弱が進み体力の衰えた状態で手術を受けざるを得なくなったこと、などなど、医療過誤で訴えてやろうか、と本気で考えたほどです。
私の両親の住む田舎町とその周辺は、田舎町の常として老人が多く、しかし総合病院と云えるのは、父親の入院している病院の他、市立病院と、移植腎臓売買で警察沙汰になった例の病院の3つしかありません。3つもありゃあ充分じゃないか、と思われそうですが、周辺の町も合わせて無慮十万人に病院3軒では手に余るのは確かで、腎臓売買病院以外の2軒はいつ行ってもジジババで溢れ返っています。かくの如く貧弱で選択肢の少ない病院事情を見ていると、トシ取って田舎に引っ込むのも考えものだなあ、と思いました。ということは、zapさんのおっしゃる、医療や介護の「マーケット」、それも広大で未開拓な「マーケット」が存在しているのも確かだと思います。しかし、各健康保険組合の財政状況が年々悪化の一途をたどり、介護保険(なんで「官」がこんなものを始めたのか、当初より疑問に思っているのですが)も、早くも同じ道をたどり始めた(田舎ほど財政事情が悪く、介護度認定の不公平を生んでいる)のを見るにつけ、当面は、田舎の医療環境は貧相なままではなかろうか、と、父親の病状と重ね合わせてほとんど絶望しています。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.02.10 08:28

赤壁周庵さん。父上様の容態、よろしくないようで、ご本人もですが、ご家族の心労お察しします。お母様とともに精々の看護をされますよう。
ワタシも丁度30年前、腸と肝臓の末期癌を患った父の看護で、家族が疲弊しきった光景をリアルに思い出します。“幸い”にして母やワタシもも比較的若かったこともあり、56歳の父の死という事実をココロでは受け入れることができなくても、体力と勢いでカバーできた、なんて思います。
当時に較べ、今では医学も進み、特に癌に対する治療技術は格段の差でしょうが、結果、平均寿命の大幅に伸びに貢献し、老=老介護、老=老看護の図が全国に溢れ返る、の一因となるであろうことはやりきれない矛盾、のようにも思えます。
本人含めた家族全員が“ハッピーに”死を迎えることのできる環境づくりを国や行政に期待するのは難しいんでしょうかね。

投稿: zap | 2007.02.11 13:11

zap様
「ホスピス」という言葉を耳にしたのは、もう20年以上前だったと思いますが、末期癌の苦痛を和らげる「緩和医療」がいまだに浸透しないのは如何なる理由によるものか、実に怪訝に思っています。「緩和病棟」のある病院は、両親の住む町には存在しません。約100km離れた県庁所在地まで行けばありますが、それでも40万都市にたったの2軒です。
生きていくのも難しいが、死んでいくのはもっと難しい、難儀な世の中ですねえ・・・くだんの父親が、まだ50そこそこだった頃、「50代は、たとえ『死にたい』と思っても死ねる年代ではない」と云ったことがあったのをいまだに憶えていますが、今や「80代や90代になっても死ねる年代ではない」のかも知れません。父親はいま82歳ですが、こんなことになろうとは思ってもいなかったのではなかろうか、と思います。
先日、主治医から、「人工呼吸器が必要な状態になったらどうするか?」と問われ、それはもうやめてくれ、と返事しました(母も兄姉も同じ意見でした)。それどころか、できることなら、もう望みのない延命治療はやめて欲しい、とすら思いますが、病院としてはそうも行かないのでしょう。といって、いまさら100kmも移動させることなんかできっこありませんし・・・
今は、いつ呼び出されてもいいように身構えているばかりです。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.02.13 00:26

治癒の見込みが殆どないと仮にしたとき、その重病の患者本人の堪えがたい苦痛を除去することよりも延命行為そのものが優先される、とは到底思えません。
私の父の死の床も、思い出すに、そんな選択肢が医師より提示されたとき、モルヒネで苦痛の淵から暫し脱する肉親を前に、ワタシを含む家族は、延命措置の中止を担当医師に承服しました。
30年前の荻窪・衛生病院での一コマ。主治医の米国人医師は、クリスチャンとして、その場に呼び出された神父さんとともに臨終の父を祈りとともに天に送り出し「心臓が止まりました」の一言を宣言。非常に「プラクティカル」なプロセスに、妙に感動したのを憶えています。

世の去り方、は、家族や関係者の「送り方」のモンダイでもあるように思えます。

父上を、家族として少しでも精神的に支えて差し上げることを祈念する次第です。

投稿: zap | 2007.02.13 01:07

父は5月26日(土)早朝2:00、永眠しました。いろいろ書かせて戴いた締めくくりとして、お知らせとお礼まで。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.06.03 13:52

赤壁周庵さん。
お父上のご逝去を心よりお悔やみ申しあげます。
ご家族の看護もたいへんでしたでしょうが、なによりご本人のくるしみと無念さは察して余りあります。
ご冥福を、お祈りいたします。

投稿: zap | 2007.06.04 02:07

zapさん、ご丁寧にありがとうございました。
本人は苦しかったようですが、それでも癌特有の痛みはなかったようで、モルヒネ等は最後まで使うことがありませんでした。
ここ数年来、こういう日が遠からず来ることは覚悟しておりましたが、覚悟することと実際にその日が来てしまうことは全く別のことであると思い知りました。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.06.05 06:47

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 親の入院に思う。:

« クラブ仲間、集結。 | トップページ | 20年以上待っていた本。 »