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2007.01.08

ナビに頼っていては。

Dscn1902カメラ小僧だった10代の頃。自動露出のカメラを持つことなど無粋とばかり、仲間うちではわざわざ露出計の付いていない一眼レフを使うのがカッコイイとされた。もちろん、露出値を正確に計るためには、TTLや単体の露出計を使うに越したことはないとは判っている。が、いやしくも写真を究めようと志す者、計器など使わずして半段と違わない正確な露光をフィルム面に与えることができなければニンゲンではない、的な体育会系精神を帯びた文化系部活動に勤しんでいた。だから、当時常用していたコダックのモノクロフィルム「トライX」がカメラに入っているときは、目の前のシーンの適正露出を瞬時にしてアタマの中で計算し、シャッタースピードと絞り値をセットし、すかさずシャッターをきる。この一連の動作が素早く淀みがない程、写真道を究めた、我が身に木村伊兵衛が降臨した、などと勘違いできた、仕合わせなひと時だった。
このトライX。高性能かつ使い易いフィルムで、露出のブレに対する画像濃度の許容範囲(ラチチュード)が高感度な割に広い。要は、多少適正でない露出を与えても、現像とプリント時に巧く調整すれば、それなりの写真が仕上がるようにできている。露出を勘に頼る粋がりカメラ小僧にはピッタリの感材、と言う訳だ。

しかし当時、お遊びとは言え「自らの眼とアタマで適正露出値を瞬時に計算する」ことで活きていた脳の一部が、今ではその機能を使わなくなったことで、完全に錆び付いていることに気づく。いや、露出値のみならず測距においても然りだ。
全自動(死語?)のデジタルカメラを手にするようになってからは、働かせる必要のなくなったそんな感覚(≒“勘”覚)が、明らかに衰退し退化しているように思う。

同様なことが、クルマに乗る時にも起っている。
便利なカーナビ。とりわけワタシの棲む千葉は、土地は概ね平坦。アップダウンやランドマークが殆ど無いうえ、どこへ行っても道が曲がりくねっているため、カーナビに頼らないと遭難必至地帯だ。
しかし、こんな道具が無かった時代は、初めて訪れる土地を走る際も、ロードマップと土地勘でなんとか切り抜けていた訳だし、道に迷えば地元の人に尋ねる、なんてこともやっていた。
ニガテな地図を読み、道標を注視し、経験やら土地勘を総動員し、そして同乗者のしばしば頼りない指図を信じながら、進むべき道を探っていた。知らない土地を往くときは、民家のBSアンテナの向きから方向の見当をつけたり、ひと気のない場所では太陽や星座の位置で方向を知る、といった古典的航行方法まで使った。
一方、カーナビの便利さに浸っている昨今、ナビ様の仰せのとおりにクルマを転がしていれば、ナビ様の予言どおりの時刻に目的地に着いてしまう。一方で、明らかに、ナビ無き時代に日常的に使っていた、行く先を探る感覚、脳ミソの一部の機能は殆ど使われることなく衰退・退化しつつあるような気がする。

ITを駆使した道具が人間生活の隅々にまで浸透した“コンビニ社会”だが、その進化に伴い、人間が生活の中で普通に使っていた脳の機能や能力が、知らず識らずのうちに錆び付いてはいないか。一度5-56を吹きつけてみる必要がありそうだ。
ん?ITの所為じゃないって?(図星)

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コメント

あったら良いなと思うものが次々に現れて、自らを使って動くはずの人間が、自分では動けなくなっているのですよね。
そんなことを考えていると日常的にあらゆるところでそんなことになっている・・・。豊かさってなんだろうというところまで行っちゃう。

私がしている仕事でもそう感じることが沢山ありますね。子育てというナビ。それがないと子育てが出来なくなってきているということです。
子育て支援を充実する事も大事かもしれないけれど、そうまでしなくてはならなくなった社会が作られてきてしまった。何かを置き忘れて偏った成長をしてきてしまったんでしょうね。

zapさんの文章を読んでいると色々考えさせられる事があって、コメントしたくてもそれに見合った文章がなかなか書けません。何度も読ませていただいてやっとです(^_^;)

投稿: え | 2007.01.21 07:53

↑すみません。投稿者名が「え」になっちゃった!m(__)m

投稿: えしゃれっと | 2007.01.21 07:55

えしゃれっとさん
例えば50年前、100年前に暮らしていた人は、今の世の中でアタリマエにあって便利だと思うものなどまったくない中で、逞しく生きていたんだと思います。往々にして物資は不足していたのかも知れませんが、ココロは豊かに保てていたんだと思います。
効率を追求することが至上とされる合理化社会のなかでは、ニンゲンが真っ当に育たない、つまり、子供がバランス良い大人にならないのではないか、という危惧が先立って、子供をつくろうとする気持ちにブレーキが掛かるような気がします。
ワタシは、便利さの象徴であるコンビニエンスストアができたことが、少子化に影響を与えたのではないかと思っているのですが、そのネタはまたの機会に書きたいと思います。

投稿: zap | 2007.01.21 22:55

zap様
先日、足摺岬から北上するに当たって、カーナビがどんなことをほざきおるか試してみました。もっとも楽に走ろうと思えば単に国道56号線を北上すればいいだけのことで、カーナビの出る幕はないのですが、第一候補に推してきたルートは、山中の号数3桁の国道とも思えぬ国道を行くもので、酔狂にもその仰せのとおり走って、難儀して実家に戻りました。途中、先行する何台もの車が対向車を待って渋滞しておりました。たぶん同じようにカーナビ様の仰せによって迷い込んだのでしょう、品川ナンバーのエスティマまでおりました。「人が難儀するの見るのホン好きでんねん」なぞと云っている場合ではないのでした。まあこれはお遊びでしたことですが、「機械あれば機事あり」とはよく云ったものだと思います。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.02.13 00:49

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