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2007.01.28

クラブ仲間、集結。

Dscn1913前世紀末。いや、昭和の末期に会って以来かも知れない。大学時代のクラブ仲間が久々に集まった。

高校に通うまで東京暮らしが長かったワタシは、何となく「外地」に憧れ、大学は北大を目指す。中学の頃からハマッていた写真の趣味を続けたいという気持ちが強く、「写欲」に応えてくれそうな彼の地を選んだこともあった。もとより部活と生徒会活動にドップリ漬かっていた高校生活。しかも、いわゆる進学校などでは微塵もない都立桃耳高校で日夜遊んでばかりいたヤツが丸腰で立ち向かうのはかなり無謀な企てだった。が、当時の仲間の多くがそうしていたように、代ゼミやら駿台やら方々の予備校を流しながら、二年掛かりで何とか入学に漕ぎ着けた。
学校生活は部活動がキホン、という中学以来の信念に近いモノを保っていたので、授業開始、いや、入学式も待たずに「北大カメラクラブ」の部室の扉を叩き、早速入部。今では写真部という部名に替わったこのクラブは、その名称とともに戦前の1938年の創設以来続いた歴史あるサークルだ。部室も大昔に校舎だったと思しき木造二階建てボロ家の一角で、部員の溜まり場スペースと暗室が併設されており、部会や一連の暗室作業が賄える。
が、所詮は隙間だらけの部室。厳冬の頃は石炭ストーブを炊くなどして、現像処理のための薬品類の液温を何とか20℃近辺に保つも、翌朝、続きの作業のため部屋へ戻ると、現像バットの中はスケートリンクのように凍りついている。そんな過酷な活動環境だった一方で、遅い春を迎え、木の芽が吹き、一斉に花が咲いた後の北国には、被写体はそれこそ無限にあり、高校時分までの思い入れが現実のものとなったことは心底嬉しかった。

部活動と言えば、月例展と称して学内で実施する写真展と、5月の大学際での展示、それらに加え、学外のギャラリーを借りて行なう学外展等、写真サークルらしい定番イベントメニューは多々あるものの、その実体は毎週金曜夜の部会がはねたあとのヤキトリ屋での呑み会。ワタシのような「内地」組含め、全国各地から集まったクラブ仲間との、今にして思えば青く、かつ取り止めのない遣り取りだったのかも知れないが、異文化交流を地で行くような仲間との写真、いやジンセイ論議は大いに刺激的だった。

ワタシがキャプテンを務めていた1979年の3年次には、80名近くの在籍者がいる大所帯。しかも、ホンキで職業写真家を志向していた部員もおり、コアメンバーの活動の質も非常に高かったように思う。実際に今も写真や映像の各界第一線で仕事をしている仲間が何人かいるのも、その証左だろう。

大学を卒業して四半世紀。昨晩、新橋のサッポロビール『ライオン』に集結した懐かしい面々は、皆50にも垂んとする立派なオジサンに成長している筈だが、ノリはハタチ前後のまま。それぞれの日常の仕事場では、きっと偉そーにしているであろう皆の表情や勢いも、一様に若いママ、だったのは嬉しかった。
大手建設の代表取締役であるMサンを筆頭に、クルマや医薬、IT系メーカーの技師やマーケッター、広告会社の支局長、県立高校の教諭のほか、通信社や国営放送のチーフカメラマン、フリーのコマーシャルカメラマンまで、多彩なフィールドで活躍している仲間との久々の東京同窓会。
次回は、嘗て札幌で入り浸っていた、北24条の呑み屋『なると』で集結、ということに勢いでなった訳だが、さて果たしていつ実現するのか。そう遠い未来ではない、定年後?!

昨夜のオヤジ同窓会。流石に『ストーム』や『都ぞ弥生』は登場しなかったものの、懐かしくも楽しい旧友との暖かな会合は、7時間近くにも及んだ。

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コメント

お疲れさまでした。7時間も飲んでいたのですね。翌日お酒が残っているはずです。でも学生時代は飲み屋をでると寒くてしらふにもどり、はしごを続け、最後は誰かの下宿で札幌の早い夜明けを迎えていましたね。そう考えるとお酒も弱くなったものです。
久しぶりのメンバーは、少々上下に圧縮されたり、色が変わったりしていましたが、みんな昔のままで楽しかったです。今度は「なると」&「ストーム」&「都ぞ弥生」で盛り上がりましょう。

投稿: いんでん | 2007.01.30 06:40

いんでんさん。コメントありがとう。
いや~ほんと、楽しかった。みんなムカシのままだった。
物理的な経年変化で少しくたびれたのはやむを得ないとして、
呑み方と勢いは、みんな殆どかわっていなかったのは嬉しかった。
次回はゼヒ北24条で!

ところで、クラブOBの中で、写真家として今も先頭走っているひとりのいんでんさん。
これからも素敵な写真を創ってください。
↓いんでんさんのホームページ
http://web.mac.com/a_inden/iWeb/Southwinds/Top.html

投稿: zap | 2007.01.31 00:42

そういえば先頃届いた大学の同窓会誌に「同窓の新入社員に『都ぞ弥生』を知らないのがいる」と嘆きのコメントを寄せていた人がいました。まあ、時代の流れでしょう。自分のことを振り返って見ても、30年前、大学1年だった時は「寮歌祭」に結構熱くなっていましたが、翌年にはもう嘘のように冷めてましたもん。その時、ステージに上がって、白々とした気分で眺めた客席の光景はいまだによく憶えています。
それにしても、本文写真の中には「この人だれだっけ?」という人が何人かいらっしゃいますなあ・・・音声がついていればあるいは分かったかも。動画を載せられるブログは寡聞にして知りませんけど、まだないとしても早晩できるのではないでしょうか。間違ってたらごめんなさいね。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.02.11 18:22

赤壁周庵さん
戦前からあった北大恵迪寮がボヤをキッカケに取り壊しの憂き目に遭い、コンクリートづくりの恵迪寮では寮歌など継承されないのでは、と思っていましたが、今もって寮歌祭が開催されているようで、まだまだ熱い人達はおられるようです。(このサイト、「ご挨拶」を押すと「只今工事中です」には笑えます)

http://www.ryoukasai.org/dai5kai/for_html/dscn0141.html

ところで、北大の校歌「永久の幸」と同志社の応援歌「若草萌えて」のメロディーが同じなのをご存じでした?

投稿: zap | 2007.02.12 23:18

zap様
「とこしえの幸」は替え歌なので同じ歌が存在しても不思議はなかろうと思います。
元歌がなんであったのか、寄る年波で忘れてしまいました。作詞が有島武郎なのは辛うじて憶えておりますが。
と、ここまで書いて、分からない時のWikipediaを参照すると、次のようにありました(「北海道大学」の項)。

校歌は 「永遠の幸」(とこしえのさち) と題する。作詞者は有島武郎。米国人作曲家ジョージ・F・ルートが1863年に作った"Tramp!Tramp!Tramp!"が原曲。この曲はアメリカ合衆国が南北戦争の時代に北軍の行進曲として歌われ、南軍でも歌われていた。また、歌詞を変えてアイルランドでも流行した。南北戦争後、米国の各大学でも学生歌に用いられていたものを納所弁次郎が選曲したといわれている。旧制の国立学校校歌としては特異な成り立ちである。
歌詞は大和田建樹が校閲したため、作詞者の欄に有島とともに併記されることもある。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.02.13 00:01

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