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2007.01.14

震災12年目に思うこと。

Img07いまからちょうど12年前。1995年の今日1月14日、ワタシは従妹の結婚披露宴に出席するため、神戸にいた。新神戸駅そばのオリエンタルホテルで祝宴を終え、JR三ノ宮駅構内にある二次会の店で親族や従妹の友人たちと和やかな時間を過ごした後の夕刻、神戸・三ノ宮界隈に一人繰り出す。まだ正月気分の抜けきらない街は、三連休の初日でもあることで、寒いながらも賑わっていた。ワタシは、披露宴のスナップを撮ったカメラに残ったフィルムで、普段けしてそのようなシーンをカメラに納めようとは思わないはずの神戸の繁華街の様子を、せっせと撮影していた。

JR三ノ宮から電車で10分程の住吉駅に程近いワタシの親の住む実家で暫しくつろぎ、16日午前に東京へと戻り、翌17日火曜日の朝6時半頃。出勤前の寝ぼけマナコでつけたTVの画面には、異様な光景が映し出されていた。
一瞬、特撮現場の話題か何かかと思った画像には『NHK神戸放送局前から中継』のテロップが張りついているだけ。倒れた電柱と埃に塗れた静止画とも動画とも判定のつかないその画には、前日まで滞在していた、人やクルマの行き交う繁華で瀟洒な神戸を伺う要素は微塵もない。
京阪神には大地震はない。根拠さえ知ろうともしなかったそんな「定説」が瓦解した瞬間でもあった。

直後、けして頑強ではない木造家屋に住む親や近隣の親族の身を案じ、電話を幾度となく掛けるも繋がらない。TVは、要領を得ない情報を流し続ける。平穏な心持ちで通勤の途に着く状況ではないことを悟り、釘付けのTVから刻々伝わる阪神エリアの甚大な被害状況にただ呆然とするのみ。怪我ぐらいでは済んでいないであろう親や親族の、最悪な状況がアタマを過った。

当時、まだあまり普及していなかった携帯電話。近隣でたまたま所有していた人に借りて、取り敢えずの無事を親族が伝えてきたのは、その日の夕刻になってからだった。最も被害の大きかった神戸市東灘区の住人の安否が地震当日に遠隔地から確認できたのは、希なことだった。

昨年1年間に日本で交通事故により死亡した人は6,352人。それとほぼ同数の6,436もの人命が、この一瞬の自然災厄で失われた訳だが、その数の多さもさることながら、この、都市基盤や情報通信が発達した筈の先進国家において、大勢の人々の生死や行方が長時間不明であり続けた事実。それらインフラの脆さに加え、ニンゲンの救い様のない非力さを沈思するしかなかった。

新幹線と在来線を乗り継ぎ、西宮市のJR甲子園口駅まで電車で行けるようになったのは1月20日頃だったか。ワタシは渋谷の東急ハンズへ赴き、罹災地必須アイテムであるブルーのシートや携帯燃料、ポリタンクなど、半壊した実家の応急措置と当面の生活を確保するための物品を一頻り買い込み、カートに縛りつけて何とか甲子園口へ。普段なら電車で数駅の距離を、傾いて倒れそうなビルを除けながら国道2号線を5時間近く掛けて歩き、夕刻やっとの思いで半壊となりライフラインが絶たれた実家へ辿り着く。
あらためて無事の確認ができた親が開口一番言ったこと。昭和20年の8月にこの場所で米軍の焼夷弾に家をまるまる焼かれたときの事を思えば、この程度で済んでよかった、と。時間掛けて少しずつ片づけるしかないね、などと言い、妙に胆が座っていた。

Img077あれから12年。
折に触れ帰省する神戸の罹災エリアでは、ワタシの親族含め、震災直後は努めて明るく気丈に振る舞う人が多いようにも感じた。が、街が徐々に片づき、最悪の状況から脱したかのように見えてから、寧ろ『頑張り』が効かなかったため疲弊が蓄積。その後ココロとカラダで燻っていた“病巣”が顕在化する、といったケースが少なくないように感ずる。

Img075地震などの自然災害そのものは、地表の何処に居ても防ぎ様はない。が、万一の場合の逃げ場や防災用品を確保しておくことに加え、こうした災厄で傷つく自らの心身と長期に渡り闘う準備をしておくこと。これも「防災」の必須メニューだとあらためて思うのだ。

[写真上:地震直後の芦屋・ハナヤ勘兵衛写真材料店 写真下:震災から数ヶ月後の三ノ宮界隈]

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コメント

自宅のTV画面で震災の様子に釘付けでした。忘れもしません。
夫の幼馴染が芦屋にある会社の社宅に住んでいたのです。
夫が癌の摘出手術をして自宅で療養中の出来事でした。食道摘出で声もでにくい状態だったのに、あちこちに電話をかけまくり
安否の確認をしていました。高齢の友人の親御さんの代わりに時間のある自分が行くんだ!と言うのを何とか止めたのでした。
友人の住んでいた社宅は傾いたものの、ご家族は無事でした。
落ち着いた頃に逆に我が家にお見舞いにいらしてくれて・・・。
震災から2年後に夫は他界しました。

「自然」の脅威の前では人間は無力です。
病には打ち勝つ英知を人間は持ち合わせていますが
それでも勝てないものもあるんですよね。

投稿: えしゃれっと | 2007.01.21 08:17

えしゃれっとさん まいどコメントありがとうございます。
若くして旦那様を失われた無念さは察して余りあります。
震災も病魔も、ニンゲン生きている以上は避けられないと思っていても、「平時」には逆境に備えようという気持ちが薄れてしまうことを省みなければいけませんね。
ワタシも、実の父を癌で亡くして今年で30年目。志半ばで死んでいく肉親や家族の姿ほど、ツラくて悲しいものはないという記憶を自らのために役立てる努力をしなければならない。そんなことを思ったりする、今日この頃です。歳だナ~

投稿: zap | 2007.01.21 23:24

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