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2006.12.10

命日に集まる。

Imgp4330大学のころ、写真部に在籍していたワタシの落ち着き場所のひとつは、古い木造校舎を使ったその部室だった。1980年の12月8日。札幌の12月としてはさして寒くはなかったものの、隙間風が入り込む寒い部屋で石炭ストーブにあたりながら友達と馬鹿話を交わしていると、部員仲間のTが突然「ジョン・レノンが射殺されたゾ!」と言いながら部室へ入ってきた。Tは当時、演劇研究会の役者もしていたため、まさかの気持ちも働き、その場では彼お得意の脈絡ない『セリフ』と片づけようとしたのだが、どうもそうではないらしいことは程なく判明する。そしてその日、夜からのTVをはじめとするマスコミの騒ぎようは、犯人の不可解な動機についての憶測話しを中心に、ハンパではなかったように記憶している。

ワタシも小学生時分からの端くれビートルマニアとして、ジョンとポールの残した楽曲はことごとく、かつ、とことん聴いてきた。ロックという音楽にさしたる傾倒もしてこなかったが、彼らの音楽は理屈抜きに格別な存在だ。おそらく同世代の人間のみならず、ワタシと似たようなビートルマニアは世界のそこここに居るのではないだろうか、と思う。そして、非業の死を遂げたレノン御大への想いは、それら楽曲が今以て色褪せないことと同様、この命日を迎える度により強く結晶化するのを感じる。

今年の12月8日は金曜日と重なったこともあり、会社仲間を中心にここ10年以上も続く「John Lennon Day」集会はいつにも増して盛り上がった。上野にあるパセラというカラオケの大部屋に仲間が三々五々集まり、酒を酌み交わし、御大の曲をひたすら唄うというシンプルかつ賑やかな会合だ。このイベント、毎年多少のメンバーの出入りはあるものの、この日にしか顔をあわせることのないような会社仲間との交流の場である一方、この恒例イベントを元々企画した仕事仲間で、やはり40代の若さで突如この世を去ったNさんの追悼集会でもある。

ヒトの死は避けられないとリクツでは判っているものの、ゆかりある人の死に直面すれば、こうして想いを同じくする人が集まり、語っては唄うということぐらいしかできない。きっと非力なニンゲン、太古の昔からこれと似たようなことを連綿と続けてきたんだろう、と思う。そして、人の死を悼む気持ちや感慨を昇華させるための「酒」や「音楽」は、ある意味、人間にとっての最古で最大の発明品なのかも知れない、と思った。

Imgp4325_1Imgp4329この晩、レノン御大を弔い過ぎて終電の時間を忘れたワレワレは、世田谷区若林の松蔭神社前駅近くにある、会社を辞めた仲間がマスターを務める「ポートレート」という店へとワープ。けして若くない面々の、若気な宴会は、夜更けまで、続くの、だった。。

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