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2006.06.18

グルダ氏のこと。

G926735a5人程の贔屓のピアニストの中で、リヒテルに次いで傾倒するフリードリッヒ・グルダ氏のことを少々。古典からモダンジャズに至るまでの音楽を自由奔放に奏で、数多くの名盤を残した巨匠が何故に、同郷で敬愛するモーツァルト先生の録音をボツにしたんだろう。

オーストリアのピアニスト、フリードリッヒ・グルダが70歳で世を去って6年程経ったこの春。彼の最も得意とした作曲家のひとりであるモーツァルトのピアノ作品を収録したCDがグラモフォンから発売された。“the GULDA MOZART tapes”と意味ありげな表題が、これまた意味ありげなタイプフェイスで表示されたこの3枚組のCD。脂の乗りきった50歳当時のグルダが録音したモーツァルトだったにもかかわらず、25年も経った今年になるまで本人の意志でボツとなり、マスターテープも行方不明となっていたという曰く付きの音源だ。

グルダは彼の同郷であるモーツァルトを愛し、その作品の演奏を得意としていた筈なのだが、何故か27曲の協奏曲、17曲のソナタとも、ベートーヴェンでは複数残していた「全集」のための録音を遂に残さなかった。だから尚更の事、グルダファンとして「未だ聴いていないグルダの音源が地球上にある」というニュースが伝わってきただけでワクワクする訳だが、それにも増して、グルダ自身がお蔵入りさせたことで有名な表題どおりの“the GULDA MOZART tapes”のデキがどのようなものなのかを是非とも聴いてみたいという衝動に駆られた。

このCDの音源は、行方不明と言われているオープンリールのマスターテープから作られたものではなく、収録を担当したプロデューサー氏がプライベートに所有していたダビング版のカセットテープから製品化したと解説文には書かれている。昨今のマスタリング技術のお蔭か、 思いの外歪みもなく、切れ味と粒立ちの良いグルダの音楽がベーゼンドルファーのふくよかな響きとともに伝わってくる。結局、この音源をグルダが何故ボツにしたのかは判らず終いなのだ。唯ひたすら純粋に作品と演奏そのものを楽しんでいるかのような、グルダ本来の感性と天性が発揮された素晴らしい音楽であり、まさに、モーツァルト御大生誕250年の年にリリースされるに相応しいCD作品と思った。

一方で最近ネットで検索してHMVで手に入れた、これまたグルダのモーツァルトCD。何故か“MOZART tapes”のような話題にも上らず、国内版は見当たらないこの“Mozart Lives!”と題したCD。ジャケットに“Letzte Mozart-Aufnahme Guldas”=グルダ最後のモーツァルト録音、と書かれた小さなシールが貼られており、このことだけでももっと話題になっても良いのに、と不思議に思ったのだが、ライナーノートを読みながら盤を聴いてみて納得。グルダは彼の死の前年に収録したこのモーツァルト後期のソナタ集の一曲を除いて全てを、ベーゼンドルファーでもスタインウェイでもない、ヤマハのクラビノーバで弾き、しかも嘗て彼が、ソナチネアルバムに収録されていて有名なハ長調・第15番ソナタの録音で残したような即興的な装飾音をふんだんに付けて演奏している。更に加え、ナント背後に電子音やらパーカッション紛いの音を散りばめている。つまり、オリジナル楽曲をサウンドとして「破壊」しているのだ。これには正直、驚いた。

この音源を聴いて思い出し、そして思ったこと。それは今から15年以上前の1993年11月。1969年以来25年を経て実現したグルダ最後となる日本公演での唯一のピアノソロコンサートを渋谷のオーチャードホールへ聴きに行ったときのこと。ステージにクラビノーバとスタインウェイを置いてバッハ、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ドビュッシー、そしてリクエストに応えてのグルダ自身の作品までを得意満面に次々と披露していった。が、大いに期待したモーツァルトはプログラムになかった。

この先はワタシの勝手な想像だが、多分グルダは自身のモーツァルト演奏を、コンサート会場の聴衆やらCDを聴くような「他人」のために弾く、或いは録音を残すつもりはあまりなかったのではないだろうか、ということ。つまり、殆どグルダ自身の満足追求のために、あの一連のモーツァルト作品を演奏し、たまたま気が向けばレコードやらCDとして発売したのではないのか、というようにさえ思えるのだ。

グルダは嘗て「モーツァルト先生と私自身が満足できる演奏ができたら本望だ。死んだら、あの世に行って先生と連弾したいな」と言っていたことを、かの吉田秀和氏の著作で読んだことがあるが、演奏会で敢えて採り上げなかったり、録音をお蔵入りさせたり、リリースしてもビックリするようなアレンジを施したりする、このグルダ氏の、他の作曲家に対してとは明らかに異なるモーツァルト先生に対する一連の「行状」こそ、彼の天才をして成し得た、自身のための自然で正直な行動だったのではないだろうか。

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コメント

結局グルダにとってモーツァルトは鮨屋のおやじが客に出す分とは別に自分の寝酒の肴用に取っておいたネタのようなものだったのかなあ、というような埒もないことを近頃考えています。

投稿: 赤壁周庵 | 2007.03.31 23:56

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