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2006.06.25

フィルムスキャナー手に入れ考える。

Img021a長いことフィルムカメラに親しんできた自分にとって、昨今のデジタルカメラへの急激な変革には正直辟易。デジカメを実際に手にとって使ってみれば、フィルムカメラにはない面白さがあるし、付き合い方次第ではかなりモノになる、と思い至る。が、しかし。。

フィルムカメラには150年以上の歴史がある。フィルムの性能は、その歴史のなかで改良に改良が重ねられ、今の市販品は一昔前のそれに較べれば素晴らしいし、同様にカメラやレンズの性能・品質も充分成熟している。フィルム、つまり銀塩写真の醍醐味は、それら改良の限界点に達したとも言ってよい素材や機材を駆使して画づくりが楽しめることだ。

一方のデジタルカメラ。市場に出回りだして10年程経つだろうか。その手軽さや便利さが受け、携帯電話と合体するなど併せ技も伴い大ブレイクした。フジやコダックといった老舗フィルムメーカーを業態変革に追い遣ったり、コニカやミノルタといった大御所企業をして、カメラメーカーとしての看板を降ろすに至らせるインパクトを与えた。

手にしてみれば確かに面白いデジタルカメラ。フィルムの消費やその残量を気にせず気軽に撮れるし、正直に良く写る。写真術150年以上の歴史で、今ほどカメラのシャッターの押される回数が多い時代はないんだそうだ。

が、しかし。長いこと親しんできたフィルムカメラの大きな楽しみのひとつ、一発必中的画づくり感がなかなか醸成されないのは何故か。デジカメでは、どう言う訳かいつも『試写』をしているような感覚でしか現場に臨めないのだ。
更にもう一つ気になること。それはデジカメ受光素子の小さなサイズの制約(これはある面長所でもあるのだが)で、普段でもピントが必要以上に深いということ。とくに最も使用頻度の多い標準から準広角レンズを付けて撮るときの被写界深度の深さは深刻で、撮影の多くの場合、写真がパンフォーカスに仕上がってしまうのはツライ。

「一発必中の職人技」、そして「ピントのヤマとボケ」。この2つを追求したいと思っている以上、そしてじっくりと写真の画づくりをキメたいと願う限りにおいては、銀塩写真は棄てられないと思うのだ。絵を描いたり、映画を創ったりするのと同様、写真だって絵コンテを起こして被写体と対峙するぐらいの気概があってもいいとすら思うのだが、そんな楽しみ方を追い求めること自体、このデジタル化が急速に進行する社会においては遺物、いや異物として見られてしまうのか。

***
念願のフィルムスキャナーを手に入れた。銀塩写真の絵づくりと、デジタルカメラの手軽さという双方のメリットを叶えてくれそうなこの機械。イキナリ極端な世界から試してみようと思い立ち、母方の祖父が趣味で家族を撮り溜めていた写真原盤の一枚をスキャンした。これは約70年前、昭和12年に撮影された手札サイズ(8×10.5㎝)の比較的大判のモノクロフィルムだ。

この古いネガに写し込まれた柔らかな空気感、そしてピントの浅さにより齎される程良い立体感に見入るとき、この何十年という写真術の進歩って、何だったんだろうと思うのだ。

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