2012.05.21

太陽と月に、むらくも。

Photo_3今朝の金環日食。 ワタシは昨晩の「曇り」予報を信じきって観測はムリと思っていたのだが、朝起きてみると弱い日が差している。 そして“恰好の”薄曇り。 慌てて会社行きの支度とともに、カメラとレンズをカバンに詰めて家を飛び出し、職場近くにある小石川後楽園の木立に到着。 すでに食は始まっていて、まずは押えておきたい「壁面投影」。 木漏れ日が日食の形になって地面や壁面に映し出される面白いシーンが観られた。 一方、太陽撮影用のND(減光)フィルターを用意していなかったため、「叶うのなら薄曇り」を念じていた訳だが、午前7時34分頃の食のピークの時にはまさに「月にむらくも」状態に。 雲のNDフィルターを通して輪っかになったお日様が美しく光り輝いていた。 これが当初イメージしていたシーンではないか!
Photo_4「雲ひとつない晴天」や「雲だらけの曇天」はしょっちゅうあるけど、「雲越しに太陽が覗く」ことなんて、そう滅多にあるもんじゃない。 それが、ン百年に一度しかないような金冠食のときに起こってくれるんだから、お天道様も洒落ていらっしゃる!

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天文と、気象。

Photo小学校3年生の頃、ワタシの部活は「天文気象クラブ」だった。もともと宇宙のことが好きで、「天文」の図鑑を毎日のように眺めていたほどだったが、部活の顧問の先生はなぜか「気象」に興味の対象が寄っていて、天気予報だの天気図だのという、地球の表面のことばかりに活動のテーマを絞っていた。ある日、それじゃツマラナイと言ってクラブの仲間3人と話し合って、「天文好き」ならではの独自の活動をしよう、ということになり、小遣いを一人1000円ほど出し合って、3000円の天体観測用の屈折望遠鏡を買った。昭和40年頃の3000円はそこそこ高い買い物だったが、50㎝ほどの筒型の天体望遠鏡には、太陽を観測するための「サングラス」、月を観るための「ムーングラス」もちゃんと付いいて、太陽と月を観測することができた。観測対象がもっと遠くの“星々”にこそ至らなかったものの、雨や雲や風といった地球表面の「気象」を超えて、「天文」に近づくことができたたことに、出資した小学生3人は満足だった。
Photo_2それから40年以上経ち、天文も気象も興味ゾーンから遠のいていたのだが、昨今の「宙ブーム」に触発され、ふと久々に月の表面でも眺めてみようかと思い立ち、反射望遠鏡式の写真レンズを入手。35㎜換算で800ミリ相当のレフレンズをミラーレス一眼に付けて満月を撮ってみれば、ヘタな天体望遠鏡なんかよりも余程きちんとした画像が得られることが判った。

さて、明日の早朝には久々の金冠日食が観測されるとあって、「元天文少年」はむろん興味津々だが、TVの天気予報は今日になっても「大方曇りだが、所によっては薄雲越しに太陽が見えるかも・・」などと“希望的観測”を言っていた。 「天文」の大イベントはとっくの昔から正確に予測がついていたのに、「気象」は前日でも不確か。 もとより「天文」と「気象」は相容れない「ソラのこと」なのかも知れない。

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2012.04.29

15か所目の、ねぐら。

Photo先週末、10年とちょっと住んだ千葉県・我孫子市から東京・千住へと引っ越した。 父が終の住処を建てる計画を残して世を去ったため空き地となっていた手賀沼湖畔の宅地に、40歳を越しての再婚を期に二階家を建てて住んだのが我孫子の棲み家だった。 が、これから歳を重ねてからの生活を考えると、身辺をコンパクトにして、通勤など都心へのアクセスをもっと楽にしたいと思い立ち、家を売り、都内のマンションへの宿替えとなった。
1956年に生まれたときの最初の家が「中野区中野駅前町6」という地番だった東京都住宅供給公社・中野駅前住宅。 このボロアパートの3階での一家4人での生活を皮切りに、芦屋市・精道町→西宮市・甲子園口→東京都文京区・千石→杉並区・西荻窪→札幌市・東区→同・北区→川崎市・下野毛→小金井市・梶野町→同・緑町(2か所)→我孫子市・本町→同・若松→同・白山、と、計14回の引越しののちの15か所目のねぐらとなる。
50数年に14回の転居が多いのか少ないのかは判らない。 ひとつ言えるのは、親の転勤や大学進学、就職、二度の結婚と、人生の節目に同期するようにして居場所を転々と替える遊牧民のような生活をしてきたお蔭で、その土地々々で色んな出会いがあり経験を重ね、豊かな収穫があったことだ。
Photo_3今度の新居は京成電車の千住大橋駅のほど近く、隅田川を日光街道が渡る「大橋」を見下ろす場所にある。 このあたりは古くは歌川広重の「江戸名所百景」の「千住乃大はし」に描かれた江戸の北の門だそうだ。 11階のベランダからは都心方面を眺めることができて、東京スカイツリーもよく見え、まさに気分はお上りさん状態。 マンションの住人は30代前後の夫婦が多いようで、若いみなさんの元気をもらっての生活を期待したいところだ。
隅田川と荒川に囲まれた千住界隈は古くから宿場として栄えたエリアで、今も往時の雰囲気を色濃く残していて、交通の要衝としての独特の賑わいがある。 「絵」としても面白い風景がありそうで、“カメラハイク”も期待したいところだ。

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2012.04.08

サクラの、チカラ。

20120406この週末はサクラが満開。 都心からの帰途、上野公園を歩いてみると、巨大な雲のような花の固まりが夕空に浮かんで見事だった。 思い起こせばちょうど1年前。 震災や原発被害で叩きのめされた日本人を最初に慰め元気づててくれたのがこのサクラだったのではないか。 この春の花はココロに“加速度”を与えてくれるようで、やはり格別な気がする。
上野の山にはテレビ局のカメラがいくつも入っていたし、「桜前線」や「開花宣言」といった言葉とともにその様子をメディアで伝える行為自体、この花が特別であるゆえんだろう。
植物としてのサクラは地球の北半球に広く分布しているそうだ。 ヒマラヤにもヨーロッパにもサクラがあって、そして誰もが花好きなのに、サクラが咲いたからといって飲食物を携え、大勢で出掛ける「花見」の文化は日本にしかないらしい。 なぜ日本人はそうまでしてサクラにココロを捧げるのか?
今朝の朝日新聞に載っている国際日本文化センターの白幡洋三郎先生のコラム「なぜ花見をするのか」が面白い。 桜と日本人との関係をテーマとする著書をいくつか挙げてその問いに答える内容だが、この「なぜ?」の問いに一部答える見解を出しているものとして、植物学者・中尾佐助の『花と木の文化史』(岩波新書 1986年)を紹介している。 それによると、「西洋文化の花の美学はだいたい本能的美意識」による。一方日本では、「学習による文化的美学」がはたらくからだ、と。
たしかに、小学校の入学は満開のサクラに迎えられ、国語の教科書にはサクラを愛でる一文があったような気がする。 図画工作の時間にはサクラを写生し、巧く描けたら先生が「よくできました」と書かれたサクラのスタンプを押してくれた。 “人生のお勉強”開始時期の折々にこうして「サクラ」が刷り込まれてきたことは、日本人のサクラへの特別な思いと無関係ではなさそうだ。
小学生の時分ならずとも、新年度の始動とともに一斉に咲き、新たな気持ちをさらにポジティブにさせてくれるパワーが、そんな理屈を超えてあるようにも感じられる、不思議な植物だ。

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2012.04.01

30年目に、思うこと。

Photo今日でちょうど会社勤めをはじめて30年。 なんでも長続きしない自分にとって、ひとつの会社という環境に30年間いられたというのは不思議な感じもする。 が、その間、部署異動は10回以上、所属する会社も6社目。 グループ会社内での転籍も2回経験した。 入社した会社の“本籍”は30年保ちつつも、居場所を転々とする遊牧民のような会社人生だった。
ただ、広報・宣伝や販売推進、新規ビジネスの立ち上げといった、IT業界の中でも先端領域の面白い仕事に関わり続けることができたことは、とてもありがたく思っている。 そして、それぞれの職場でお世話になった大勢の先輩、同僚、部下のみなさんと共に仕事をしてきた経験と頂いた厚情は、替えがたい財産だ。
30年は人間のサイクルで言うとおおよそ一世代。 多少変動はあったとしても、この周期は古来から人間固有のものとして引き継がれてきたのだろう。 一方、ワタシがこの業界に身を置いてからのIT領域での世代交代はめまぐるしく、1980年代のパソコン、1990年代のインターネット、2000年代のケータイ・モバイル化と、だいたい10年単位で変革が進み、技術の世代交代そのもののが加速している。 技術革新のサイクルでよく言われるのは、犬の一生に符合する「ドッグイヤー」でこれは7年。 ITの世界を象徴する半導体技術では、その回路集積度が2倍になるまでに要する時間がほぼ一定であることを唱えた「ムーアの法則」でこれは18ヶ月。 ワレワレの日常に目をやると、件のパソコンは1年に2~3回のモデルチェンジがあり、ケータイに至っては店の売り場に行く度に新機種に入れ替わっているような印象だ。
最先端のIT商品とは言え、所詮が24時間サイクルで寝起きし、1年周期で歳をとり、ほぼ30年周期で世代が替わっていく古来からの仕様のニンゲンの使うもの。 この「ジェネレーション・サイクル」のギャップに陥ることのないよう、世代交代間近の会社人生終盤を、すごしていくこととしたい。

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2012.03.17

がんばれソニー。

Sony3_2自宅の自分の机に古いSONYの製品が3つ乗っかっていて全て現役だ。 ひとつは10数年前に購入した10インチの「トリニトロン・カラーテレビ(KV-10PR1)」。2つ目は、中学生だった1969年に買った3バンドのトランジスタラジオ「ICF-110」 。そして小学生の1965年に買った小さなラジオ「2R-21」。 この小型ブラウン管TVは地デジのコンバーター接続でキレイに映るし、2つのラジオは、40数年の間に1~2度修理に出したことはあるものの、今も機嫌良く鳴っている。
ワタシは、同世代の多くがそうであるように、SONYブランドには特別な愛着と“リスペクト”を持っている。 ラジオ、テレビ、VTR、ウォークマン、CDプレーヤー、プレステなどなど革新的でカッコイイ製品を実際に手に入れ愛用してきた。 それは、SONYの製品には競合メーカーの製品にはない斬新さとデザイン品質、そして何より素晴らしい性能と存在感を持っているからに他ならない。 何より、ワタシのTVやラジオのように何十年も前の製品が古びることなく実用であり続けていることが、SONYブランドの証のように思える。
が近頃、往時のSONYと昨今のSONYとの「落差」を嘆く記事をメディアで見掛ける。 確かに今のSONY製品は、ロゴをPanasonicやTOSHIBAに置き換えてみても成立してしまうほど、かつてのSONYらしい精彩に欠けている。 その根本原因は、やはり日本の家電メーカーが国内の競争に明け暮れているうちに、アップルやサムスンとのグローバルな競争に負けてマクラを並べて討ち死にした、その“先鋒”であるソニーが目立って凋落してしまったことにあるのだと思う。
ソニーのかつてのブランドイメージは、いままさに絶好調のアップルのそれと重なる。 マックやらアイパッドは、本来ソニーが提供するのが相応しい商品だったように思う。
先日NHK-BSで「グレートサミット」という番組を観たのだが、世界最高峰のエベレストの頂上にまでNHKの撮影クルーが担いで上がったのは、ソニー製のハイビジョン・ベータカムカメラだった。 極めて過酷な世界の頂点からの美しい映像こそ、「SONY品質」を雄弁に語っているように思えた。
Sony_2やはりこの先も、映像や音響、広いエンターテインメントの世界で、かつてのソニーらしい製品を出し続けてほしい。 ワタシは、SONYの扇風機やSONYの洗濯機を欲しいとは思わない。

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2012.03.11

バイクを乗り換えたワケ。

W650今から10数年前。 40歳を越してから大型自動二輪車の免許を取得した。 体育会系でもない中年オヤジにとって、教習所でのホンダ・ナナハンの取り回しには閉口。 教習仲間は20代の大柄で頑強そうな若者がほとんどで、160センチに満たない背丈のワタシにとって、物理的、気分的に場違い感溢れていたが、それでも「必ず大型免許を取る。」と思わせる原動力になったのが、「このバイクに乗る。」との強い思いだった。 それはカワサキの「W650」。
1960年代の名車「カワサキ・W1(ダブワン)」の流れを汲む復刻ライクなバイクで、675㏄のバーティカル・ツインエンジンやキャブトン・マフラー装備のレトロなデザインはとても魅力的で、10代の頃に憧れたダブワンに乗れる!と思った瞬間、免許取得への気持ちスイッチが入ってしまった。 その後メデタク大型免許を取得し、発売したてのW650を即購入。 それ以来12年ほど、このバイクと付き合うことになる。
ところが50代も半ばを越すと車重210㎏のマシンを操るのも体力的に厳しくなってきたので、そろそろ手放す時期かなと思うようになった。 が、バイク乗り自体を止めたくはないので、コレと同じ排気量でもっと取り廻し易いバイクはないか、とあれこれネットで探していたら、ありました。 スズキが欧米向けに輸出している「Boulevard S40(LS650)」という、単気筒650ccエンジンを積んだアメリカン・タイプのシンプルバイク。 国内では「サベージ」の名で20年ほど前に販売されていた車種だが、あまりにマニアックなため少量しか生産されず、その後ひっそり供給を止めた。 ただ、北米向けにはその後も輸出を続け、日本にも逆輸入車が少し出回ったこともあったようだが、2008年の排ガス規制強化に伴い輸入もできなくなった。
そこで中古バイク店を探したところ、その排ガス規制直前に輸入された中古車を1台発見。 すかさず長年連れ添ったW650の価格査定をしてもらったところ、予想以上の高値がついたこともあって買い換えを即決した。
Ls650w650新たに迎えた「LS650」は単気筒としては国産最大の排気量だが、車重は160㎏と250ccバイク並のため足付きや取り廻しはすごく楽。 そんな個性的なスペックのため、スピードこそ出ないが、低回転時のトルク感は力強く、のんびりクルージングには“もってこい”の雰囲気だ。 「ハーレー」は無理スジとしても、中型には落したくない、といったオヤジライダーにはピッタリかも。

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2012.03.04

半導体、そして日本の行く末。

1_2半導体の大手メーカー「エルピーダメモリ」が会社更生法を申請し倒産した。 パソコンなどの電子機器に使われる半導体製品は、かつては“産業のコメ”とまで囃され、日本の屋台骨を支えるハイテク産業の主役だったが、価格競争にさらされ易い「DRAM(ディーラム)」に特化したこともアダになり、300億円もの国費を注入した国策企業となるも、あえなくぽしゃってしまった。
身近に感じることでは、たとえばデジカメに使うSDカードやらUSBメモリー。 年を追うごとにどんどん価格が下がり、3~4年前では「ン」万円もした「ン」ギガバイトの製品が、今では秋葉原の安売り店に行くと「ン」百円で手に入る。 このように、半導体ビジネスの怖さは、差別化の難しい製品はたちどころに価格競争の荒波に呑まれ、短期間で値崩れを起こし、ビジネスとして成立しなくなるリスクをはらんでいる点だ。
半導体に限らず、電機業界をはじめ自動車、船舶といった、かつては工業国日本を代表する稼ぎ頭だった多くの製造業が瀕死の重症。 これは、高品質でハイテクであることだけで勝負し続けることができると信じてきた日本の産業界全体の問題に起因するように思う。
絶え間ない変革モデルを誰からもわかるカタチで体現し、企業価値を極限にまで高めたアップル社は言うまでもなく、品質のみならず、付加価値をホンキで追求して先輩格の日本メーカーを追い越した韓国の電子機器産業の成功は、井戸の中のカエルだったかも知れない日本人が本来気づかなければならなかった日本人の「強み」を思い起こしてくれる。
今日の朝日新聞に「日本のソフトパワー」と題するヨーロッパ総局員氏のコラムが載っていた。それによると、今、世界の若者向けファッションで、日本語ブームが起きているとか。 例えば「スーパードライ」を直訳した「極度乾燥」と書かれたトレーナーやTシャツが大受けというのだ。 日本の芸術や文字に魅了されたデザイナーが手掛けた製品が“カッコいい”とされ、ブレイクしているらしい。
マンガやアニメ、J-POPが先行する「クール・ジャパン」だとすると、日本語やら古来の日本文化そのもの、さらには日本の気候・風土といった、これまで日本人自身があまり「付加価値」「商品」として捉えていなかった領域のものたちに対して、世界は既に熱い視線を投げかけている。
コラムでは、警備会社セコムの英国での成功も紹介している。 宅急便のヤマトは、日本国内の成功モデルを海外展開し、更なる成長を目指している。 つまり、古来からワレワレ日本人が得意にしてきた質の高い「ソフト&サービス」を、世界が求めていることに、もう少しホンキで気付いてもいいのではないか、と思った。

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2012.02.25

ポールがジャズを唄うと。

Photo_3今年の6月に古希を迎えるポール・マッカートニーが新譜をリリースしたというので気になっていたのだが、会社近くにあるタワーレコードの試聴コーナーで1~2曲聴いて迷わず購入。 ダイアナ・クラールのピアノをリーダーとするドラム、アコースティックギター、そしてダブルベース(!)をバックに1930年代アメリカのスタンダード・ジャズをまったり、はなんりとカヴァーするという想定外のコンセプト・アルバムだ。
1970年にビートルズが解散したあと、ポールはいろんなアルバムを出し続けてきたが、“ザ・ビートルズ”という巨大な世界との隔たりも相まって、いまひとつ「響く」楽曲が少ないように感じていた。 が、ポールがジャズシンガーに徹して収録した今回のアルバム『キス・オン・ザ・ボトム』は、そんな中でも異色かつ出色の作品に仕上がっているように思える。
スタンダード・ナンバーと言っても聴き慣れた曲は少なく、いかにも通好みという選曲となっていること自体カッコいいのだが、「イッツ・オンリー・ア・ペイパームーン」や「アクセンチュエイト・ザ・ポジティブ」「バイバイ・ブラックバード」といった多くのジャズメンが手掛けた名曲を、あのポールの声で聴けるということに素直に感動してしまう。 もちろん、バックの演奏も素晴らしいうえ、エリック・クラプトンやスティービー・ワンダーまでサポート陣として連れて来てしまった「そこまでやる?」感もあるけれど、ポップス界の大御所ならではの“余興”として大いに楽しめる。 ついでに、収録に使ったマイクロフォンは、ナット・キング・コールが使ったものだそうで。。
アルバムリーフレットにあるポールのコメントの中に、彼の父親から聴かされていたジャズの響きや作曲家コール・ポーターへの想いが綴られている。 そして、古い時代のジャズが、ビートルズの音楽の礎のひとつになっていると言っている。 ビートルズが結成されて50年目という節目にリリースしたアルバムによって、そんなビートルズ・サウンドとジャズとの溶融を知るというのも、とても面白い体験。 かつてビートルズにハマり、ジャズを長年贔屓にしているワタシにとって、今回はポール御大にヤラレました。

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2012.02.11

由紀さおりサンのこと。

Photo昨年末以来、由紀さおりさんが欧米でウケているという話題をメディアが報じているのが気になっていたのだが、たまたまNHK-TVの「SONGS」という番組でそのニューヨーク・ライヴの様子を放映していたので興味深く観た。
ワタシは由紀サンのファンでも何でもないが、歌謡曲や童謡のイメージが強かった彼女が12人編成のバンド“Pink Martini”をバックにステージで唄うセルジオ・メンデスの「マジュ・ケ・ナダ」やピーター・ポール&マリーがヒットさせた「パフ」の日本語歌唱を聴いてみると、想像以上に素晴らしく、素直に感動してしまった。 ベタに言うと「巧くて美しい歌」なのだ。
バックバンドのサウンドとノリに“場末感”のような雰囲気が漂っているのが少し気になったが、由紀サンは低めの音程の歌も安定感良くキレイにまとめ上げているうえ、ステージでの存在感も堂々としており、司会が「日本のバーバラ・ストライザンド」と紹介していたのもあながちお世辞ではないと思った。 最初は普通に聴いていた観客も徐々に盛り上がり、中盤からは大声援。 とくに日本語歌唱が彼らに“刺さった”らしく、そのウケ方は半端でない様子だった。
1953ワタシは、由紀さおりサンの歌がニューヨークの聴衆に大受けなのを見て、ふと今から約60年前の東京は銀座・日本劇場で行なわれたジャズ・コンサート「J.A.T.P.イン・トーキョー ライヴ・アット・ザ・ニチゲキ1953」を思い出した。
戦後の混乱からまだ充分に抜け出していなかったはずの昭和28年の日本での実況録音。 アメリカから来たベン・ウェブスターやオスカー・ピーターソン、レイ・ブラウンといった大御所の演奏に会場は大いに盛り上がり、その後ついに登場するエラ・フィッツジェラルドにトドメを刺される。 洋楽、とくに最新のジャズに飢えていたであろう多くの日本の聴衆は、彼女の歌唱に酔いしれ、大声援を送る。 古くて貧弱な音質だが、この音源をヘッドフォンで聴いていると、ホンモノの音楽に飢えて、心から感動している当時の日本人の熱い思いがまさにライヴで伝わってくる。
60年後のニューヨーク。 今度はベテラン日本人シンガーが、かつての日劇とほぼ同じ大きさのホールを満たしたアメリカ人聴衆の大歓声の中に立っている。 不安定な世情を反映してか、“ホンモノ”に対する希求は東西古今を問わない、ということなのだろう。

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2012.01.22

コダックがつぶれたワケ。

Kodakカメラ小僧にとって、コダックの黄色のパッケージは羨望のマトだった。 無け無しの小遣いの中、カラースライドでキメたいときは、「エクタクローム」や「コダクローム」をカメラに詰めると、それだけで写真が巧くなったような気分にさせてくれた。 モノクロフィルムも「トライX」の高性能が光った。 高感度でありながら粒状性と精細度が高く、同社の現像剤「D76」で指定どおりの処方で現像すれば、ヌケの良いとてもプリントし易いネガ原版が得られた。 コダックは、常に写真業界の最先端を拓き、そんな一級品の数々を全世界に100年以上にも渡って供給し続けた。
ところが、フィルム事業に集中し過ぎたことがアダとなり、デジタル技術で完全に置き換わった映像市場で孤立し、破産法を申請し倒産した。 皮肉にも、デジカメを発明した当のコダックが、企業変革に失敗したことになる。
コダックは「フィルムを使わせる仕組み・仕掛け作り」にも長けていた。 現像ラボ装置、指定処方の薬品、独自規格のフィルム開発やそのライセンスビジネスといった普通にはあまり見えないゾーンへの注力に加え、「エクター」といった写真スタジオ向けレンズや、「レチナ」に代表されるアマチュア向けのコンパクトカメラは、その高い品質において、コダックのブランドを支えるに充分なポテンシャルを持っていた。
ただ、本業のフィルムにこだわるあまり、成長の芽となる事業を手放し、品質で追いつく富士写真フィルムなどの日本のライバル会社を提訴劇で抑え込もうとするなど、なり振り構わず“保身”に走り、結局チカラ尽きた、ということなのだろう。
コダックが疲弊する中、日本のカメラメーカーは圧倒的な高品質で世界を席捲し、「フジ」や「サクラ」の国産フィルムメーカーは、いち早く本業から舵を切ってその強みが活きる新事業や多角化で、変革の波を乗り切っている。
英和辞典にも載っている“Kodak”。 カメラファンの思い出にしか残らないブランドとなってしまっては、本当に惜しいのだが。

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2012.01.14

歌川国芳展で感じたこと。

1六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで、幕末の浮世絵師・歌川国芳の作品を集めた一大イベント「没後150年 歌川国芳展」が開かれているので行ってきた。 ワタシはもともと同じ「歌川」姓で「風景の広重、武者絵の国芳」と称された、これも同じ1797年生まれの二人の絵師の仕事には大いに興味を持っていて、オリジナルを観る機会があればゼヒ行きたいと思っていたので、願ってもないチャンス。
会場へ行ってみてまず驚いたのは、その盛況振り。 休日とは言え、チケット購入に延々と並び、会場に入るまでに小一時間掛かったのは予想外。 しかも、来場者の年齢層や性別が実に多彩で、とくに若い人の多さには正直驚いた。
2次に驚いたのは、国芳作品の数。 展示作品リストによれば、その数400点を超え、小さくない展示会場だが、期間中に一度掛け替えを実施し、前期と後期に分けて紹介するという念の入れようだ。
そしてビックリの本命は、その膨大な国芳作品それぞれの持つ圧倒的なインパクト。 着想と筆致の凄さ、緻密かつ細微でありながら、大胆な構成とデザインバランスがカンペキの一言。 日本人の“仕事”に対する徹底した拘りが、図画という平面芸術の中で最大限に息づく様子を目の当たりにした思いだ。 そして、感心したのは、とかくおどろおどろしくなりがちの浮世絵だが、国芳はどんな重く暗めの素材を手掛けても、明るく力強くポジティブな作風に変換してしまうマジックの天才だということ。 いやひょっとして、幕末のお江戸ってートコロは、明るく力強くポジティブな文化・風俗で溢れていたんだろうな、とあらためて思う。
Photo国芳展への大勢の観客は、彼の作品そのものを観て感動したいと思っているだけではなく、そんなパワー溢れる江戸の世に思いを馳せて、“不安”や“怯え”の脅威に晒されている現代生活からの解放を願っているのではないかと感じた。

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2012.01.07

シチリア島で、年越し。

Photoこの正月は生まれて初めて国外で迎えた。 会社勤め30年記念を口実に、地中海に飛び出た“長ぐつ”で蹴飛ばされているシチリア島をメインとする南イタリア年越しツアーに参加。
イタリアは世界遺産の登録物件数が世界一という歴史満載の国だが、充実の食材に彩られた飲食の世界、古くは「ストラディバリ」 に代表する名工が造るレベルの高い工業製品、そして、海に囲まれた豊かな自然、と、日本によく似た文化・風土を持っているように思う。 緯度も日本とほぼ同じで、気候差もあまり感じることなく、とても良い旅だった。
Photo_2Photo_3旅程1日目に行ったナポリ近くのカプリ島「青の洞窟」も、冬場は9割方ムリだろうと言われていた小舟での入洞も叶い、その美しいブルーを体験することができた。その後、アマルフィ海岸、マテーラ、アルベロベッロ等の世界遺産を経てフェリーでシチリア島へ。 年越しはこの島の東海岸タオルミーナの宿で過ごすことになった。 地中海から登り立てのシリウス率いる「冬の大三角形」を仰ぎながらの“年越しスパゲティ”とワインでほろ酔いになっていると、程なく大晦日は新年へ。 そして元旦は期せずして地中海から昇る初日の出を拝むことができた。
その後、シチリア州都パレルモやローマ時代の遺跡が美しく遺るアグリジェントなどを巡り、8日間はまさに“あっ”と言う間だった。
Photo_4Photo_5冬場とは言え南国のこと、市場を覗けばレモンを始め柑橘果物が溢れ、梅によく似たアーモンドの花はすでに満開だった。 噂にたがわない陽気なイタリア人。 国旗の配色が象徴するかのようなカラフルな“色”の印象。 奥深く、美しく、そして美味しいイタリア共和国に乾杯!
Photo_6Photo_7

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2011.12.25

写真のボケを楽しむ。

Photo最近写真を撮るときに使うことの多い小型デジカメやケータイはとてもキレイに写る反面、たとえば、手前の人物から背景まで全体にピントが合い、奥行き感の乏しい平板な絵に仕上がってしまうことが多い。 これは、カメラの撮像素子、つまりフィルムカメラでいうフィルム、人間の眼の網膜に相当する部分のサイズがとても小さいため、いわゆる被写界深度が深くなることで起こる現象だ。
一方、普段はアタリマエ過ぎて気づかないが、眼でモノを見たり景色を眺めるとき、注視している「視点」以外の大部分はボケボケだ。 でもこれでヒトは日常困ることはなく、却って自然な見え方として感じ取っているように思う。
ワタシは最近、写真をより自然に美しく撮るため、この「ボケ」にこだわる絵づくりにあらためて興味を持つようになった。 これは、見た目に近い自然な絵が撮れるということだけではなく、背景のディテールなど余計な要素をあえて抑え、写しとる対象やテーマをより鮮明に浮き立たせるため有効と思うからだ。
Photo_2この「ボケにこだわる絵づくり」はどうやら日本が元祖らしく、欧米の写真投稿サイトを眺めると、確かに全面にピントの合った、いわゆるパンフォーカスな写真が多く見られる。 が、近年の日本製高級カメラ向けレンズの大口径化も手伝ってか、世界のカメラマニアもこの「ボケ」に興味を持つようになったとか。 事実、ボケを絵づくりとして効果的に使う手法を英語で“Bokeh(=ボウケェ)”と言うそうで、もちろんこれは日本語の「ボケ」がそのまま英語化したもの。

Photo_3先日買ったデジタル一眼カメラ用のオリンパス製レンズ「ZUIKO 12㎜ F2.0」は、広角レンズながら、口径も大きく、絞りを開けて撮ったときの背景のボケ方が実に美しい。 もちろん、ピントの合った部分の描写も素晴らしく、普段使いのズームレンズと較べると、「やはり固定焦点レンズの勝ち!」と思ってしまう。
このオリンパスのレンズを付けて家の側で撮ったスナップ写真をご紹介。 モノクロも良い味が出て面白い。 ちなみに、このレンズを手に乗せて撮ったレンズはパナソニック製の「LUMIX 14㎜ F2.5」で、これも美しい描写をする。 で、たった焦点距離2㎜の差しかないこんな二つのレンズを立て続けに買うワタシは、ほとんどビョーキ、かも(^^)
Photo_4メリークリスマス!

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2011.12.12

筋金入りの、ローカル線。

Photo_6Photo_7急に冬らしくなった週末の一日。 紅葉はもう終りかと思いつつ、房総半島内陸をブラリ小旅行。
ワタシの住む千葉県は首都圏でありながら、今も非電化・単線のローカル鉄道が健在だ。 最近では古風な駅舎を見学するツアーが組まれるなど、「鉄道遺産」が人気を博しているとか。 房総半島の内陸を貫く「いすみ鉄道」と「小湊鐵道」(「鉄」ではない!)もレトロ鉄道ファンを惹きつける懐かしい雰囲気を随所に残している。
「いすみ鉄道」は1930年に全通した木原線を1988年JR東日本線廃止に伴い引き継いだ第三セクター方式の鉄道事業会社。 一方の「小湊鐵道」は大正から昭和初期に掛けて敷設された古い私鉄。
地図を見れば、東京湾の内側に位置する五井(ごい)駅から外房の大原まで半島の内陸をクネクネと曲がりながら一本の線路でつながっているように見えるのだが、その二つの鉄道は上総中野(かずさなかの)という駅を境にして接続するカタチになっている。 取り立てた街でもない場所にぽつんとあるその駅へ行ってみると、駅舎もホームもレトロ感満点! 改札口のない木造の駅舎を抜けると、そこにはいすみ鉄道と小湊鐵道それぞれの乗り場へ案内する表示盤が掛かっているだけで、モチロン無人駅だ。
Photo_8Photo_9クルマで訪れたため、折悪しく気動車にはお目にかかれなかったが、まるで鉄道模型のジオラマを見ているようなその見事な風情に感動してしまった。 時刻表に目をやると、いすみ鉄道の便は一日に9本。 小湊鐵道に至っては午前と午後にそれぞれ二本ずつの計4本しかこの“終点駅”にまで気動車がやってこないという、筋金入りのローカル線。 そして、鉄路をよく見ると、この二つの軌道は物理的に完全に分断されていた。 つまり、経営はもとより相互乗り入れの歴史などない、近くて遠い関係を長年続けてきた“ワケアリ感”も充分漂わせていた。
Photo_10小湊鉄道の駅舎でもうひとつ風情のあるのが上総鶴舞(かずさつるまい)駅。 大正時代の開設当初の駅舎がなかなか可愛く素敵で、TVドラマやコマーシャルフィルムのロケにもたびたび登場しているとか。 人けのない駅前広場には、美しい銀杏の木が黄色の葉をたっぷりとまとっていた。

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